お次は昭和30年代から分割化民営化までの電車たちです。

 

「高度経済成長に向けて。」

 

昭和30年代、鉄道と言えば!当時の日本人が声を揃えて「蒸気機関車!!」という時代だったのでした。

 

というのも、電車はまだ克服できていないことがあります!

それが、騒音・揺れでした。

 

当時の電車というのは、おもに近距離用で、路面電車という認識の方が高く、そんなちっぽけな電車をどうやって

主力に成長していったのでしょう?

 

1人の技術者さんがいます!

 

それが島 秀雄先生です。

 

島 秀雄先生は戦前にⅮ51形を設計され、戦後登場し好評を受けた80系湘南型電車の企画・設計にも携わられている方です。

 

そんな島 秀雄先生は上層部にこう訴えたのです。

「今からの時代は電車です、電車で高速化を図りましょう!電車であれば120キロでも出せます!」

 

しかし上層部は呆れてしまい、こう言います。

「電車で高速化?寝ぼけているのか! 電車で高速化なんてできるわけない!高速化は機関車運転で十分!」

 

孤立する島秀雄先生でしたが、おおきな見方が来てくださいます。

 

その方が木島虎蔵さんです。

 

木島 虎蔵さんは当時、国鉄の輸送局長で、この上層部の意見に対し

「機関車運転はホームを広げる以外!高速化は不可能!」

と言い、上層部の意見を批判し、島 秀雄先生の賛成派に来てくださったのです。

 

これで2人による、高速電車計画に扉を開いたのです。

 

 

まず鉄道技術者たちが目を付けたのが、台車でした。

そこで、当時では最新の空気ばね台車を開発し、これを初めて履いたのが、モハ90系(後の101系)で、

 

公式の高速試験ではなんと!135キロ​をマークしたのです、

 

これにより高速電車反対派はひにひに小さくなっていきます。

 

「特急電車の実現と世界新記録」

 

1958年11月1日、東京~大阪間を6時間30分で結ぶ、日本初の電車特急こだまの運転が始まりました!

 

すぐに人気となって、ビジネス客から観光客まで、多くの人が今か今かと待っていたのです。

結果、特急券が買えないという事態も起こるほどでした!

 

1959年7月には高速試験に挑戦し、最終回の7月31日に、当時世界新記録となる163キロをマークし、

世界チャンピオンとなりました。

 

その後1960年代にも幅を広げ、つばめ はと 富士 おおとり といろんな名前が加わり、

1964年に東海道新幹線開業まで、このポジション体制が取られていました。

 

また湘南電車には96系(後の153系)が1958年にデビューします

こちらも急行の主力となるのです。

 

その後も電車の普及は反響を呼び、1959年に準急日光22系(後の157系)が、そして上越線特急に161系

特急ときで運行開始されます。

 

「世界初4連発」

 

いつの間にか、日本の鉄道が行なっていることが何もかも世界初や世界一などという状態が続きました!

 

まずは1958年に、近鉄が世界初の2階建て電車「ビスタカー」20000系を走らせ、翌年に国鉄が世界でも例のない

世界初の修学旅行専用電車82系(後の155系)がデビューし、その後も世界初の高速鉄道である、東海道新幹線

に、またも世界初の寝台電車までデビューさせ、世界から注目を浴びました。

 

「通勤客問題」

 

これはどういうことかというと、これまではラッシュアワーの時に通勤型が行き渡らない部分を急行型が通勤通学客を

乗せていましたが、あまりの多さにさばききれず、後続列車が来るまで駅のホームで待たせてしまうという事態が起き、

そこで近郊型が開発され都市と中継都市との輸送改善につなげました。

 

これで急行型がいっぺんに2つの役を、1つの役ができるようになりました!

 

またこの急行型が1972年から新快速として活動します。

 

「社会行政の問題で信頼性ダウンするも、克服!」

 

1971年に発生したオイルショックをきっかけに電車の人気が減ります。

 

そこで省エネモーターを搭載した電車を登場させ、これが今年3月に引退した201系で、電車の信頼を取り戻すことに

成功しています。

 

またこの関係で、この時期に登場したローカル線向け電車は不要になった急行型の台車をもらい

新製した車体と組み合わせたケースが多かったのです。

それが417系です。

 

「国鉄末期の電車」

 

1979年には今までの国鉄デザインにはない近畿の、斬新な117系が登場し、関東では同じく斬新な185系がデビューし

反響を呼びました。

結果153系は定年退職し、東と西の新形電車に切り替えられました。

 

1982年に東北・上越新幹線が開業し、新たに200系がデビューし、雪国新幹線とも呼ばれました。

また同年、地下鉄千代田線直通に203系が登場します。

 

またこの世代になると、国鉄経営がさらに悪化した時期でもあったため、リサイクルした電車も登場します。

北陸本線に急行型改造の413系と寝台電車改造の419系・715系、そして急行型改造の717系など

です。

 

1985年には100系新幹線と205系211系がデビューし、新しい顔が次々と登場していきます!

この205系と211系ではさらなるコストダウンのため車体をステンレスが使われ、走行モーターも界磁添加励磁装置が

使われており、この装置は201系が使った走行装置が高額だったためです。

 

そして1987年に213系が中国地方に登場し、分割化民営化を迎えます。