3月7日は何の日でしょうかと言いますと、95年前の今日。

丹後地方で大地震があった日です。

 

「丹後大震災とは」

 

丹後大震災(北丹後地震・奥丹後地震・丹後震災)とは、1927年3月7日午後18時27分39秒に発生した

マグニチュード7.3の地震です。

 

兵庫県豊岡市・京都府宮津市・与謝野町・京丹後市で震度6を観測しました。

京都市・兵庫県洲本市・福井県福井市・敦賀市・奈良県橿原市・広島県福山市で震度5強~5弱を観測しています。

 

 

「本震のまとめ」

 

発生日 1927年(昭和2年)3月7日

発生時刻 18時27分39秒

 

震央   京都府丹後半島沖

震源の深さ 15km

規模   マグニチュード7.3

 

津波   1.2~1.5m(丹後半島)

地震の種類 大陸プレート地震

        左横ずれ及び右横ずれ断層

死傷者数 死者2925名※ 負傷者7806名※

 

 

 

 

 

「被害の状態」

 

被害は京丹後市峰山町や与謝野町を中心に大きく、さらに不幸にも、夕ご飯時に発生したこともあって、

暖房や炊事が原因とする火災が何件も発生し、与謝野町や京丹後市網野町・峰山町で大火となりました。

結果、合わせて8287戸が焼失しています。

特に絹織物の産地を直撃したため、ちりめん産業にも大きな影響を与えています。

被害は以下の通りです。

京丹後市の峰山小学校では児童や園児・先生など212名が犠牲となっています。

他の小学校でも被害がありました。

 

絹織物生産者の死者230人、被害総額1000万円、当時あった織機5596台の内、全焼はまた全壊3632台、半焼または半壊

886台で実に81%が使いものにならないという事態になりました。

 

また鉄道省(現JR)の峰山線(現京都丹後鉄道宮豊・宮舞線)でも、沈下や土砂崩れなどの被害があり、

加悦鉄道(今は廃線)も駅舎の倒壊や焼失などの被害が出ました。

加悦駅や丹後山田駅(現与謝野駅)は耐えています。

 ← 丹後大震災に耐えた加悦駅舎。

 ←加悦鉄道資料館で展示

                 されている、5銭玉。

           丹後四辻駅の焼け跡から発見された。

                     

 

しかし両線とも復旧は早く、加悦鉄道は震災発生から6日後の13日に、峰山線も21日には全線で復旧しています。

 

 

さらに揺れは東が新潟県、南が大分県などと広範囲に広まっています。

 

大阪府や鳥取県でも被害がありました。

以下の通りです。

 

大阪市 水道管破裂による浸水

 

鳥取市 家2件倒壊

     餘部鉄橋の橋梁が数センチずれる。

 

「丹後大震災がきっかけに行うようになった習慣」

 

丹後大震災がきっかけに、今でも行われていることが始まりました。

 

それは、募金活動です。

 

新聞記者や多数のマスコミが、被災された方にキャンペーンや募金活動を、この丹後大震災がきっかけに本格的に始まりました。

 

また食券制度もこの丹後大震災がきっかけで始まったのです。

おおさかの阪急百貨店で、丹後大震災で食い逃げをする人が相次いだためです。

そのため

食券制度が初めて取り入れられました。

 

「意義」

 

丹後大震災が発生する前に2つの地震が起きています。

 

それは1923年9月1日の関東大震災、1925年5月23日の北但馬地震です。

これをきっかけに地震や断層に関心をもつ研究者たちが多くなり、この丹後大震災発生後も、多くの研究者たちが

現地調査するなどしています。