加悦鉄道DB201形とは、加悦鉄道が1953年に製造したディーゼル機関車です。

 

「概要」

 

加悦鉄道では戦時中に大江山鉱山で鉱石輸送をしていたことで、4両の蒸気機関車を所持していましたが、燃料となる石炭が値上げされ、地方私鉄などに負荷をかけることとなっていました。

 

そこで、1953年に加悦鉄道では効率の良いディーゼル機関車を採用し、森製作所で10tディーゼル機関車を新製し、燃料経費消滅を図りました。

森製作所は蒸気機関車をディーゼル機関車に改造するということが得意会社でしたが、当車は足回りも含め、すべて新品で作られています。

鉄道ファンから別名森ブタと言われています。

 

日本のディーゼル機関車では最初期のグループですので、当機関車ができたときは、まだ最新型と呼ばれた時代のため、

当車エンジンにはバスやトラックと同じ部品を使用し、変速機は機械式でと言い、マニュアル式自動車やバス・トラックと同じく、ギアーチェンジしながら進みます。

 

今ではこの機械式という方式の機関車・ディーゼルカーは貴重・珍しくなりましたが、DB201と同世代のディーゼル機関車・気動車では、当たり前でした。

 

「主要諸元」

 

製造年 1953年2月

車体長 5.7m

自重  10t

機関  三菱DB7A型 当時はDB5L型。

変速機 機械式(前後進共4段)

 

「車体」

 

車体は凸型で、小さな運転席には前後二組の運転席が付いています、

ボンネット内にエンジンと燃料タンクなどが収まっています。

「台車と足回り」

 

 

 

動軸2軸のロッド式で、車軸をロッドでつながれています。

「運転席」

 

運転席は前後に2組あり、運転台にクラッチペダルとシフトレバーが右に、アクセルペダルが左にあり、自動車とは逆方式となっています。

左手側にあるスロットルレバーはアクセルとペダルとつながれていて、前後どちらでも運転可能です。

 

 

「運用とその後」

 

使用開始は1953年3月で、2号機関車に変わり、旅客列車を牽引して活躍しました。

この柄らな姿で7両編成を牽引できたというのは、対したものです。

しかし貨物は引きことができませんでした。

DC351入線後は代用として使うようになりました。

 

客車列車が無くなった、1972年に休車となり、1977年オープンの加悦SL広場で展示されました。

 

廃線後も加悦SL広場で展示されますが、1999年に宮津海陸運輸さんたちにより、動態化に成功。

以降加悦SL広場で動態運転されていました。

 

閉園後の行方はわかりませんので、わかり次第お伝えします。