国鉄キハ10形とは、国鉄が1953~57年にかけて製造した気動車です。
「概要」
国鉄が動力近代化を行うことになり、これに先だつ1952年に試作のキハ44500系電気式気動車を試作しましたが、失敗におわり、1953年に誕生したのが当形式で、量産型としては初めて誕生しました。
これが気動車時代の扉を開けたのでした。
しかし非力のため、登坂区間では立ち往生してしまったため、平地区間のみに限られていました。
「主要諸元」
製造年 1956年2月 (キハ1018)
最高時速 95キロ
車体長 20m
台車 DT19型 TR49型
出力 180PS
機関DMH17C型
ブレーキ DA1自動空気ブレーキ
「車体」
車体は鋼体プレス材により構成された、軽量構造で、車体重量を可能な限り軽量化するため、断面が小さくなっています。
これは当時の新製電車・客車よりも小さい設計でした。
また将来の客車列車を置き換えることを想定し、ドアを2カ所あり、この車両の最大の特徴であるのが、前面貫通式運転台を持つことです。
乗降口にはステップが付いています。
「車内設備」
車内はクロスシートで、当初は扇風機は付いてはおらず、照明は白熱灯でした。
客用扉は長大編成の時に、保安性向上と地方線区向けとして、コストダウンを両立、開扉は乗客の手動にて、閉じるときのみ自動で作動する半自動構造とされました。
これに応じて、小型で新型ドアエンジンTK5型が採用されました。
「ディーゼルエンジン」
当車は後から登場する気動車たちが採用した、DMH17型エンジンを初採用し、これがあとから多く普及していくのでした。
「加悦鉄道入線と廃線、その後の動き」
キハ10系が加悦鉄道に入線したのは1980年で、12月より使用開始されました。
入線時の改造はとくにせず、ほぼそのままで使用しました。
廃線まで主力車として活躍し、廃線後も加悦SL広場で展示され、広場移転後に車内をゲームセンターなどに改造されています。
同広場閉園後はわかりませんので、わかり次第お伝えします。