北近畿タンゴ鉄道は1990年に宮津線83.6キロと宮福線30.4キロの計114キロにおよび、当時の第三セクターとしては日本一大きいものでした!
当時からJRの列車が乗り入れていて、当時の乗り入れ優等列車は急行「丹後」と特急「あさしお」でした。
他に北近畿タンゴ鉄道からは特急「タンゴエクスプローラー」が2往復で設定されていたのです。
また当鉄道からは城崎温泉駅へ乗り入れるというダイヤ「KTR700・800形使用」がありました。
その後の北近畿タンゴ鉄道は1993年より、宮津―天橋立間電化の事業基本計画および鉄道施設変更許可を受け、1996年に宮津ー天橋立間と宮福線全線の電化が完成しました。
しかし1995年1月の「阪神淡路大震災」で打撃を受けています。
これにより特急はすべて電車化され、あさしおと急行丹後は廃止となり、新たに京都発に特急「はしだて」と大阪発の特急「文殊」が誕生し、北近畿タンゴ鉄道からはKTR8000形が新製され、新たに特急「タンゴディスカバリー」が大阪発で設定・運行開始され、さらに急行も設定し新たに「タンゴレインボー」号が天橋立ー久美浜間で運行開始されます。
当初は電車特急「北近畿」とつながり、福知山で分かれていました!
ディーゼルと電気で走り、すなわち動力の異なる車両の演出が見られました。
ただその後も状態不良に襲われ、1「Oー157」が流行の上「ナホトカ号重油流失事故」が起こり需要ダウン、さらに不景気・不天候・少子化などで利用者が減少していたのです。
1998年にはカニ列車を運行しました!
1999年10月、ダイヤ改正によりタンゴディスカバリーとタンゴエクスプローラーが、区間を差し替えられ、大阪発がタンゴエクスプローラーで京都発がタンゴディスカバリーとなりました。
また天橋立ー久美浜間で運行されていた、タンゴレインボーは特急から急行への乗り換えが不便・効率悪いという意味で、廃止になりました。
結果タンゴディスカバリーは特急北近畿との併結シーンは3年ちょいで終わりました。
また開業時から行われていた、宮津線直通の城崎温泉乗り入れもこれをもって廃止されています。
「その後の様子」
2008年、特急タンゴディスカバリー号が宮福線経由となり、西舞鶴ー宮津間から特急が全滅し消えてしまいます。
そして新たに観光ムード列車「タンゴ悠遊号」が運行開始、車両はKTR700系とKTR8000系でした。
さらに女性アテンダントの乗務開始や、一部車両のリニューアル開始が行われました。
また耐震性不足が懸念された円山「まるやま」川橋梁の建て替え工事が開始。
2009年からは新たに「タンゴ浪漫号」が運行開始、車両は同じです。
しかし会社経営としては開業時からず~と赤字経営をし、2008年の営業損失は7億円に達しており、全国の特定地方交通線部門型の第三セクターでは、「日本一の赤字路線」となっていいたのです、さらに2010年から舞鶴自動車道で高速道路無料化が行われて、さらに利用者が減少し、そんな中円山川鉄橋が新しいものと交換され、使用開始されますが、今度は久美浜ー豊岡間存続問題が起こりました。
2011年のダイヤ改正では特急タンゴエクスプローラーが廃止、特急こうのとりに統一され特急タンゴディスカバリーは特急はしだてとまいづるに編入し、新たに特急「たんごリレー」が運転を開始されます。
2012年赤字損額が8億円を超え、補助をしてきた沿線自治体から悲鳴が上がるのです。
「観光列車の運行開始と後継会社」
2013年4月にKTR700系2両を改造した観光列車「あかまつ・あおまつ」の運行が開始され、同年北近畿タンゴ鉄道は運営をする後継会社の募集を開始し、結果5社が声を出して、そのうちの最適会社にウィラー会社を選びます。
2014年5月には観光列車「くろまつ」が誕生、そして同年7月に後継会社である「WiLLER TRAiNSウィラートレインズ」が設立され、2015年に「京都丹後鉄道」となりました。
現在インターネットによる乗車券販売喚起に努めているほか、114キロカフェや観光列車の運行があるが、今も苦しい経営は続き、京都丹後鉄道は3億円、北近畿タンゴ鉄道は10億円の赤字を抱えています。
終わり