1988年7月16日、念願の宮福鉄道が開業し、喜びが発する中、一つ問題と悩みがありました。

 

それは、宮津線が廃線危機にあるということ、宮津線の輸送密度は3120人であったことで、宮津線は「第三次特定地方交通線」の12線のうちに当てられ、廃止対象線区となっていて、これを受け、沿線の市町が中心となり、乗車運動を展開するも、昭和61年に対象に指定され、昭和65年3月廃止と決まりました。

 

1987年9月には、宮津線特定地方交通線対策会議により、バスへ移行か、第三セクターへ転換かで検討を開始し、結果は第三セクター移行するということになったのです。

第3回特定地方交通線対策協議会では、第三セクター鉄道での存続が決定し、宮福鉄道第14回取締役会では宮福鉄道が宮津線の運営引受けが決議され、同年6月の第4回特定地方交通線対策協議会、宮福鉄道第6回定時株主総会で宮福鉄道が宮津線を引き継ぐという、転換計画が認められ、翌年8月に宮福鉄道が「北近畿タンゴ鉄道」と改名しました。

 

なおタンゴという文字は、丹後地方の暗いイメージを打ち破り、音楽の「タンゴ」へとイメージがつながり、明るくなるように!と考えられたものです。

こうして北近畿タンゴ鉄道は1989年9月に「第1種鉄道事業」免許を取得し、1990年に「北近畿タンゴ鉄道宮津線・宮福線」となりました。