1985年5月1日で終了した鉄道事業、加悦興産と改めて、残る加悦SL広場の運営をしていた加悦興産でした、ちなみに歴代で加悦鉄道又は日本冶金工業に在籍した車両は89両、加悦駅構内にあった車両は、その25%にあたる22両あったそうです。
しかし廃線後2年ほどは車両の維持管理が疎かになり、状況が悪くなる一方だったそうです。
そんな加悦SL広場を運営かつ存続させるため、傷みの激しい車両の修復を行うべきとの経営判断により、3年後の1988年に、年間1両ペースで修復作業が行われました。
修復には日本冶金工業から派遣された高度技能を持つ社員が専属的に担当され、
雨の多い地域かつ屋外展示ということもあり、木造客車は屋根、ダブルルーフは全部取り換えが必要な状態で、窓枠などの腐食は相当進行していたそうですが、比較的状態の良かったハ2とワブ3以外は廃線から3年のうちに解体されてしまいました。
ハ4995は機関庫の屋根したになるべく保管していて、損傷は少なかったものの、1年の修復となりました。
さらに図面は正確なものがなく、腐食の進んだ車両を丁寧に調査・実測した修復も行われ、約10年間に10両の車両の修復を行い、これは後の加悦SL広場に繋がる大修復ともいえましょう!
1993年にはキハ51が新製当時に復元されて、車号もキハユニ51としました。
復元には製造者である日本車輛で保管されていた図面をもとに行われたそうです。
←復元されたキハユニ51,元は芸備鉄道「現JR芸備線」のキハユニ18で、1952年舟木鉄道キハ二51を経て、加悦鉄道のキハ51となった。
かつてあった郵便荷物室は舟木時代に撤去されていた。
1995年には加悦鉄道のオリジナル車の「ハ10号」を新製当時に復元し、失われていた仕切り
を再現しています。
ハ10号 二重屋根をもち、だいぶ荒れ果てていたが、きれいに整備されており、
現役時に撤去された仕切りも復元された。
その後加悦町「現与謝野町」が新しい加悦庁舎を旧加悦機関区内に作ることとなり、
邪魔になった加悦SL広場は、戦後日本冶金工業が所有し残されていた、旧大江山鉱山駅跡を譲り受け、ここに移されることになり、お引越しが行われました。
実はこの以前に、大江山鉱山駅跡には鉱石積み込み用ホッパや煙突がありましたが、ホッパについては 広場移転に伴って解体されてしまいました。
そして1996年11月にリニューアルオープンを果たすのです。
なお加悦SL広場では、廃線後も6両の車両を受け入れていて、21両から27両となりました。以下の通りです。
103号 2003年に宝塚ファミリーランドより。
N電5号 同年に宝塚ファミリーランドより。
KD4 1999年に岡山ジーンズ工場より。
ト404 2000年に遠州鉄道「静岡県」より。
DB202 1991年に日本冶金工業川崎工場より。
モハ1202 1995年に南海電気鉄道より。
「加悦鉄道保存会による保全活動」
加悦鉄道保存会は加悦SL広場や旧加悦鉄道沿線地域での加悦鉄道遺産の保存継承活動や各種イベントに学習会などを行う会で、1996年に「加悦SL広場友の会」として結成しています。
当初は保存活動ではなく、加悦SL広場のお手伝いさんでしたが、加悦興産の理解を経たのちに車両を洗う会などを行うようになったそうです。
2003年に現在の加悦鉄道保存会に改名し、2007年にNPO法人を承認されて現在に至ってます。
1999年には加悦興産がDB201の動態復元に成功をおさめ、2004年には加悦鉄道保存会がキハ101の動態復元に 2008年には小型機関車KD4「通称カトーくん」の動態復元に成功していて、他にも動態車両がありました。以下の通りです。
DB202 KD4 「カトーくん」
キハ101 DB201
ただ2018年9月には電車内でお食事ができる「カフェトレイン蒸気店」が閉店します、理由は店主の高齢化と車両の老朽化でした。
↑かつては旧加悦SL広場の休憩車であったが、移転の時に
カフェに改造されていた。
2018年12月にはおみやげ屋さんであった「ショップ蒸気店」が閉店、理由は維持できないでした。
しかし2019年12月に京都新聞にて「閉園を検討中」と報道され、鉄道ファン内で心配する方が多くなる中、2020年2月に閉園決定し同年3月31日をもって閉園しました。
↑青空の中の加悦SL広場 ↑2021年10月に山口県へ行った103号「手前の機関車」
今後の加悦SL広場の状態はわからない状態にあります。
わかり次第、加悦鉄道保存会ホームページでご案内します。
ですので与謝野町や宮津海陸運輸さんや加悦鉄道保存会の情報を頼りにしていただければありがたいです。
加悦鉄道保存会では答えられませんのでご了承ください!
今後とも加悦鉄道保存会と加悦鉄道資料館をよろしくお願いいたします。