夫は、相手が、〇〇が分からないという事に怒る。
〇〇ってどこにあるの?
〇〇ってどうやるの?
夫に質問をすると必ず怒る。
「分からない事は自分で調べろよ!
」 と。
娘がスマホやパソコンの操作や設定を夫に聞いても、
「自分でやらないなんて信じられねぇ!」
「何で俺がやらなきゃなんねぇんだよ!」
と、大きな声でブツブツ言ってる。
そして何度も何度も「ハァ!」と、強いため息。
ブツブツ言ってるのは、誰にも聞こえてないと思ってる。
イライラしてるお父さんに、
オロオロした娘は、
「ごめん、私自分でやる…」
と言ったら、
「いいよ!俺がやるよ!
」
(丸聞こえのブツブツ一人言↓)
「何で最初から自分でやろうとしねぇんだよ!」
「意味分かんねぇ!」
「自分でやるって言うなら聞いてくんなよ!」
娘は落ち込む。
私が全部聞こえてる事を伝えても、
何で聞こえてるのか理解できない夫。
これ、会社でもやってると思う、確実に。
ある時、とある施設への経路の話になった。
私はその施設への行き方は箇所箇所しか分からない。
ぼんやりと、
この辺にある・施設から来た人はこの辺りを歩いていた、程度。
家からの道順も分からなく、
施設の近くかな?と思ったレストランやコンビニ があるのは見た事がある。
「家から行ったらAの道から行くの?」
「はぁ?!
違うよ!
」
「Bの道から行くんだよ!ハァ
」
「Bの道は、〇辺りにあるの?」
「違うよ!
□のところだよ!ハァ!
」
「地図自分で調べろよ!!
」
けっこうな声量で怒鳴る夫。
地図を確認しても、
そこに“坂”があるか分からない。
なので写真や動画でも確認。
坂は、以前 車で通った事があって、
写真や動画でみるのとはだいぶ違うと感じた。
何を言っても
「違う!
」
「〇〇だろ!![]()
」
と怒る。
夫は、自分が知ってる事を自分以外の人も知ってるかのような前提でものを考えてる感じ。
「一回通ったら分かるだろ!![]()
」
大雑把には分かるかもしれないし、
記憶にないかもしれない。
部分的覚えてるかもしれない。
ということが夫には理解できない。
その時聞いた施設への行き方は、
大きな道だと、ぼんやりしか覚えてない私は、
「この辺にコンビニあって、そこ辺りから右に入るのかな。」
と地図を見ながら話したが、
「違うよ!その道は、途中から歩道になるから行けないよ!💢💢💢」
「〇に□があってそこを右に行ったら坂を下りて左に行くんだよ!!💢💢」
「………その道は知らない。」
「一回〇の近くを通った事あんだから普通分かるだろ!💢💢」
「〇があるのは分からない。見てない」
「……!!💢💢💢💢」
声に出さずに怒る。
自分以外の人が『分からない』ということに理解できない夫。
次に、大興奮で怒り任せに大きな声でまくし立てるように早口で、家からの経路をベラベラベラベラと長々と話し始めた。
ベラベラと長い説明の中で、私の知ってる箇所は二つ。
そこを話すと、また、
「違う!!💢💢💢」
と爆発。
その施設は、夫の実家の近く。
実家に行く時は、施設に行くその道は通らなく、近くは通る。
夫の言う〇や□は、
実家に行く大通りから 中に入った地元民しか使ってないような所。
施設はさらにその奥にある。
地元民しか使わないような道を、なぜ私が知らないのか理解できないらしい。
夫は、自分が知ってる事が他者が知らないということが理解できなく怒る。
理解と会話が思い通りにならない不自由さが怒りになってるのかも。
頼りにされると怒る。
教える時に怒る。
ちなみに、
頼んで怒り心頭にやり、成功したら、
目をキラキラさせ“褒めて褒めて”と要求する表情をこちらに向ける。
「ありがとう」
と伝えると、
とても不満顔。
???
何で不満顔か分からなかったけど、瞬時に理解した。
姑のように、この上なく褒めちぎり、ご褒美を用意すりゃいいってことか。
中年のオッサンに。
