グループサウンズ4

1967年2月「僕のマリーで」ザ・タイガースがデビュー。その後5月「シーサイド・バウンド」8月「モナリザの微笑」翌1968年1月「君だけに愛を」3月「花の首飾り」など連続ヒットしその他多くのヒット曲を放つ。このタイガースの出現によって、今まで牽引してきたスパイダース・ブルー・コメッツの、やや大人の雰囲気のグループから一気に若いグループが多く出る先人をきったのがタイガースであろう。

1967年2月5日発売

デビュー曲の「僕のマリー」は発売当初は今ひとつヒットしなかっただが、3月頃から人気が爆発し5月発売のセカンド・シングル「シーサイド・バウンド」は40万枚を超えるヒットとなった。一方、ジャズ喫茶では、内田裕也氏と組んだ「内田裕也とタイガース」として前年12月から新宿ACBに出演し、ファニーズ時代と同じテイストの楽曲を演奏した。

1967年1月の「第31回日劇ウェスタン・カーニバル」では内田裕也氏尾藤イサオ氏のバックを引き受ける条件で、内田裕也氏の用意した衣装を着て1曲だけ演奏する。当時のパンフレッドを見てもタイガースはその他のグループとして扱われいる。

この時のメインはスパイダース、ブルー・コメッツ、内田裕也氏、尾藤イサオ氏、布施明氏、望月浩氏などだったが、5月に行われた「ウェスタン・カーニバル」ではスパイダース・ブルー・コメッツの次にワイルド・ワンズと並んでタイガースは紹介されていて得意の「ローリング・ストーンズ・メドレー」を歌っている。

1968年5月15日発売

 

【メンバー】沢田研二(ヴォーカル、タンバリン)・岸部修三(ベース・ギター、コーラス)加橋かつみ(リード・ギター、ヴォーカル)森本太郎(リズム・ギター、コーラス)瞳みのる(ドラムス)1969年3月加橋かつみ氏の脱退後、岸部修三氏の弟の岸部シロー氏が加入。それにしても岸部修三(一徳)氏はいい役者だね❕

1971年1月24日の日本武道館における「ザ・タイガース・ビューティフル・コンサート」が事実上の解散コンサートとなる。タイガースがデビューした1967年から1968年の2年間がグループサウンズ全盛期だった。