グループサウンズ3

1966年の6月はあのビートルズが初来日し日本中の若者を興奮させた。私もリアルにこの時代を青春時代に体感したがあの時は報道も含めて凄まじかった。こんな時代背景をバックに日本ではスパイダース・ブルーコメッツ以外にも次々とグループサウンズが誕生してくる。またこの年にはマイク真木さんが歌った「バラが咲いた」が大ヒットするなどフォークソングも流行の兆しを見せていた。グループサウンズの中でいち早くフォークロックとしてザ・サベージがデビューする。

1966年7月1日発売

今では俳優として存在感を発揮している寺尾聡さんのザ・サベージはテレビ番組「勝ち抜きエレキ合戦」で優勝するなどアマチュア時代から実力があった。

1967年8月1日(3枚目のシングル)

1966年10月デビューしたヴィレッジ・シンガーズもフォークロック・グループとして3枚目の「バラ色の雲」がヒット。さらに5枚目の「亜麻色の髪の乙女」がヒットするなどザ・サベージと並んで1966年代の人気グループとなった。

1965年8月発売 作詞:安井かずみ 作曲:加瀬邦彦

そんな中でスパイダースを退団したあと加瀬邦彦氏寺内タケシとブルージンズに加入する。しかし寺内タケシ氏がブルージンズを脱退すると後を追うように加瀬邦彦氏もブルージンズを脱退。1966年11月ザ・ワイルド・ワンズとして「思い出の渚」でデビュー。

1966年11月5日発売

「思い出の渚」は今でも歌われている名曲である。さらに「青空のある限り」「愛するアニタ」とヒット曲を出し、1968年1月から新メンバーの渡辺茂樹氏(キーボード)が加入「バラの恋人」を発売。以後も人気バンドとして活躍をする。

【メンバー】加瀬邦彦(リード・ギター)鳥塚しげき(サイド・ギター)島英二(ベース・ギター)上田芳暁(ドラムス)

 

加瀬邦彦氏は音楽に目を開かせてくれた恩人は加山雄三氏で、それを開花させてくれた第二の恩人が寺内タケシ氏だと言っていた。とにかく寺内タケシ氏の指導は厳しかった「あのとき、寺内さんに仕込まれなかったらオレは本当のギターも本当の音楽とはなにかも知らずに過ごしてしまったかも知れない」と雑誌で語っていた。加瀬邦彦氏はエレキの魅力とフォークの音楽性を見事に一体化させた音楽でザ・ワイルド・ワンズを成功に導いた。