※長文注意

いつもいつも、ブログ更新しなきゃと頭の片隅では思ってるんですが、なかなか思うようにならない今日この頃です。

 

さて、先日、憲法の政教分離原則に関して注目すべき(というか必読の)判決が出されました。

それが、令和3.2.24最高裁大法廷判決です(本稿ではとりあえず「那覇孔子廟判決」と呼んでおきます)。

政教分離原則に関して違憲判決が出された3例目です。

ちなみに1つ目は愛媛玉串料、2つ目は空知太神社ですね。いずれも必読判例です。

 

更新できないなりに構想していたものとしては、もう少し概論を充実させてから各論(各論点における書き方など)に入りたかったのですが、概論書くのも結構大変であること、また、このようなタイムリーな時期に取り上げない理由がないということで、各論に着手しようと思った次第です。

 

本稿では、まず①那覇孔子廟判決がどのような判断をしたのかを概観し、それをもとに、②政教分離を巡るいくつかの判決について整理し、さらに③論文ではどう書いたらいいか、という議論に落とし込んで解説していきたいと思います。

なお、那覇孔子廟判決は空知太神社判決と異なり、基準の立て方、考慮要素に対する具体的事実のあてはめの過程が、めちゃめちゃ読みやすく、また論文向きであると思いましたので、以下に判旨を引用しますが、ぜひ多数意見は各自で全文読んでいただきたいと思います。

※長くなったので②以降は別記事で取り上げます。

 

 

1.那覇孔子廟判決について

 

まずは判旨をどうぞ。

 

【事案】

那覇市は市が管理する公園内に一般社団法人が孔子廟を設置する許可をしたうえで、その敷地の使用料の全額を免除する処分をした。本件で争点となっているのは3年の期間が満了した後の2回目の処分であり、更新が予定されていた。

 

【判旨】

※【】内、下線等は筆者による

第2「2【判断基準】…政教分離規定は,その関わり合いが我が国の社会的,文化的諸条件に照 らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合に,これを許さないとするものであると解される。 

そして,国又は地方公共団体が,国公有地上にある施設の敷地の使用料の免除をする場合においては,…それらの文化的あるいは社会的な価値や意義に着目して当該免除がされる場合もあり得る。これらの事情のいかんは,当該免除が,一般人の目から見て特定の宗教に対する援助等と評価されるか否かに影響するものと考えられるから,政教分離原則との関係を考えるに当たっても,重要な考慮要素とされるべきものといえる。そうすると,当該免除が,前記諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えて,政教分離規定に違反するか否かを判断するに当たっては, 当該施設の性格,当該免除をすることとした経緯,当該免除に伴う当該国公有地の 無償提供の態様,これらに対する一般人の評価等,諸般の事情を考慮し,社会通念に照らして総合的に判断すべきものと解するのが相当である。 

3(1) 【本件施設の性格】…本件施設は,その外観等に照らして,神体又は本尊に対する参拝を受け入れる社寺との類似性があるということができる。

本件施設で行われる釋奠祭禮は,…思想家である孔子を歴史上の偉大な人物として顕彰するにとどまらず,その霊の存在を前提として,これを崇め奉るという宗教的意義を有する儀式というほかない。…釋奠祭禮が主に観光振興等の世俗的な目的に基づいて行われているなどの事情もうかがわれない。そして,参加人の説明によれば,…本件施設の建物等は,上記のような宗教的意義を有する儀式である釋奠祭禮を実施するという目的に従って配置されたものということができる。 

また,…旧至聖廟等は当初の至聖廟等を再建したものと位置付けられ,本件施設はその旧至聖廟等を移転したものと位置付けられていること等に照らせば,本件施設は当初の至聖廟等及び旧至聖廟等の宗教性を引き継ぐものということができる。 

以上によれば,本件施設については,一体としてその宗教性を肯定することができることはもとより,その程度も軽微とはいえない

(2) 【免除の経緯】…市が,本件施設の観光資源等としての意義に着目し,又は…本件施設の歴史的価値が認められるとして,その敷地の使用料(公園使用料)を免除することとしたというも のであったことがうかがわれる。

しかしながら,市は,本件公園の用地として,新たに国から国有地を購入し,又は借り受けたものであるところ,参加人は自己の所有する土地上に旧至聖廟等を有 していた上,本件土地利用計画案においては,本件委員会等で至聖廟の宗教性を問題視する意見があったこと等を踏まえて,大成殿を建設する予定の敷地につき参加人の所有する土地との換地をするなどして,大成殿を私有地内に配置することが考えられる旨の整理がされていたというのである。また,本件施設は,当初の至聖廟等とは異なる場所に平成25年に新築されたものであって,当初の至聖廟等を復元 したものであることはうかがわれず,法令上の文化財としての取扱いを受けているなどの事情もうかがわれない。 

そうすると,本件施設の観光資源等としての意義や歴史的価値をもって,直ちに,参加人に対して本件免除により新たに本件施設の敷地として国公有地を無償で提供することの必要性及び合理性を裏付けるものとはいえない。 

(3) 【無償提供の態様】…免除の対象となる公園使用料相当額が年間で576万7200円…に上るというものであって,本件免除によって参加人が享受する利益は,相当に大きいということができ る。また,本件設置許可の期間は3年とされているが,公園の管理上支障がない限り更新が予定されているため,本件施設を構成する建物等が存続する限り更新が繰り返され,これに伴い公園使用料が免除されると,参加人は継続的に上記と同様の利益を享受することとなる。 

そして,参加人は,久米三十六姓の歴史研究等をもその目的としているものの, 宗教性を有する本件施設の公開や宗教的意義を有する釋奠祭禮の挙行を定款上の目的又は事業として掲げており,実際に本件施設において,多くの参拝者を受け入れ,釋奠祭禮を挙行している。このような参加人の本件施設における活動の内容や位置付け等を考慮すると,本件免除は,参加人に上記利益を享受させることによ り,参加人が本件施設を利用した宗教的活動を行うことを容易にするものであるということができ,その効果が間接的,付随的なものにとどまるとはいえない。

(4)【一般人の評価】 これまで説示したところによれば,本件施設の観光資源等としての意義や歴史的価値を考慮しても,本件免除は,一般人の目から見て,市が参加人の上記活動に係る特定の宗教に対して特別の便益を提供し,これを援助していると評価されてもやむを得ないものといえる。 

(5) 【小括】以上のような事情を考慮し,社会通念に照らして総合的に判断すると,本件免除は,市と宗教との関わり合いが,我が国の社会的,文化的諸条件に照らし, 信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして,憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当すると解するのが相当である。 

4 【結論】以上によれば,本件免除が憲法20条1項後段,89条に違反するか否かについて判断するまでもなく,本件免除を違憲とした原審の判断は是認することができる。」

 

お疲れさまでした。なるべく削ろうと努力しましたがけっこう大事なところが多くて無理でした…。

 

まず、ざっと読んで目につくように、本件では明確に空知太神社と同じ総合考慮基準を使っていますね。本件で挙げられている考慮要素も空知太神社と全く同一です。

もっとも、上記2判決をもって、判例は政教分離については総合考慮基準にシフトしたんだ、と考えるのは早計です

その理由として、まず、後で触れるように空知太神社の後に出された白山比咩神社では目的効果基準で合憲判断されていることが挙げられます。

また、本件の判旨をみると、前提として政教分離原則は国と宗教のかかわり合いが一定のキャパシティを超えた時に違憲になるとしつつ、「国又は地方公共団体が,国公有地上にある施設の敷地の使用料の免除をする場合においては」いろんな経緯が考えられるのだから、「当該免除が」政教分離原則に反するかどうかは総合考慮で判断する、としています。

ここから明らかなように、那覇孔子廟判決は一般論として総合考慮基準を採用しているわけではありません。あくまで、国有地の敷地使用料の免除に関してはこのように判断する、としか言ってないんですね。

実際、空知太神社においても、「国公有地が無償で宗教的施設の敷地としての用に供されている状態」においては総合考慮するといっているにとどまります。

理解すべき判例が膨大であるために、個々の判例では論証で使えそうな規範に目が行ってしまいがちですが、このように判例が「どんな場合に」「どんな判断(規範)をしたか」という視点は持っておくべきだと思います。特に判例学習が重要である憲法や行政法は事案の違いが分かり程度には読み込む必要があるかなと。

なお、目的効果基準と総合考慮基準のいずれかを採用するかについては、国家の行為が継続的か単発的かという点に求めることが可能です。空知太神社の藤田補足意見では世俗性と宗教性の優劣を判断できるかどうかが分水嶺であるとされていますが、別記事で触れるように、やや不正確であると思われます。というのも、それだと冨平神社で無償貸与の是正解消のためになされた無償譲与行為に総合考慮基準を使ったことが説明できないのではないかと考えられるからです。まあこの点はおいおい…。

 

さて、本件に戻りますと、総合考慮基準をたてたうえで、本件は空知太神社と同様に①施設の性格、②行為の経緯、③行為の態様、④①~③に対する一般人の評価、の4つを考慮要素として挙げています。

判旨では免除と無償提供の2つの行為をとらえていますが、公園敷地使用料を免除するということは敷地を無償提供することと表裏一体だと思いますので、あまり気にしなくてよいと思います。

上記①~④の要素は、大別して①~③と④に分けられます。

まず、①~③のあてはめはかなり詳細かつ丁寧になされていますが、ここでどのような視点をもって評価をしているのかというと、要するに「これって宗教的ちゃう?宗教に加担してるんちゃう?」ということです。

判旨をざっくり読むと、①では「一体としてその宗教性を肯定することができることはもとより,その程度も軽微とはいえない」として孔子廟が宗教的施設であると断じており、②では「本件施設の観光資源等としての意義や歴史的価値をもって,直ちに,…必要性及び合理性を裏付けるものとはいえない」、言い換えれば宗教性を払拭するないし宗教性を上回る世俗的価値はないとしています。さらに③では土地の無償利用という継続的な利益を受けられることを指摘したうえで、「本件施設を利用した宗教的活動を行うことを容易にするものであるということができ,その効果が間接的,付随的なものにとどまるとはいえない」として宗教性を認めています。

要するに、各要素を検討したら宗教に関与しまくってんじゃんということが明らかになったわけです。

次に④では、このような①~③の宗教性を受けて、一般人がどのように評価するだろうか、言い換えれば、社会的儀礼のような世俗性が宗教性を上回るのではないか、という視点で検討を加えます。判旨では「本件施設の観光資源等としての意義や歴史的価値を考慮しても,本件免除は,一般人の目から見て,市が参加人の上記活動に係る特定の宗教に対して特別の便益を提供し,これを援助していると評価されてもやむを得ない」というように、やっぱり宗教性を払拭することはできなかったと判断しています。

このような過程を経て、政教分離原則に反すると結論付けたわけです。すなわち、総合考慮基準では、Ⓐ各考慮要素に宗教性を認めることができるか検討したうえで、Ⓑそれを一般人の目線で評価したときに宗教性を払拭できるだけの世俗的意義を認めることができるか、という2段階の評価をしているということができます。詳細は別記事に譲ります。

 

また、本件で適用された条文にも注目です。

空知太神社が89条と20条1項を適用して違憲判決をしたのに対し、本件では同条項を検討するまでもなく20条3項に反し違憲であると判断しました。

その根拠や空知太との整合性はどこに求められるでしょうか。

ヒントとなるのは林景一反対意見です。同反対意見では、多数意見について「原審のように参加人が宗教団体であると断ずるまでもなく」「憲法20条3項で禁止された国等による宗教的活動にあたるから違憲無効な処分であると断じたもの」と説明しています。以下、この点を捉えて参加人についてもっと深く評価すべきという趣旨の反対意見が続きますが、詳細は省きます。

本件で20条3項が適用されたことから、以下の2点が言えると思います。

本件参加人が宗教団体にあたるかどうか微妙であったこと

「宗教団体」「宗教上の組織若しくは団体」が特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体を指すことはおなじみだと思います。

本件で免除、無償提供を受けた参加人は形式上は一般社団法人であり宗教団体ではありません。

では実質的にどうかを検討すると、判旨は考慮要素③において、「参加人は,久米三十六姓の歴史研究等をもその目的としているものの, 宗教性を有する本件施設の公開や宗教的意義を有する釋奠祭禮の挙行を定款上の目的又は事業として掲げており,実際に本件施設において,多くの参拝者を受け入れ,釋奠祭禮を挙行している」と言及し、参加人に宗教的な目的があることを指摘していますが、それ以上は深く突っ込んでいません。

あえていうなら普及にあたるかもしれないところですが、普及それ自体を本来の目的とする団体といえるかは微妙なところです。

空知太神社における氏子集団のようにわかりやすく宗教的行為を目的としているのではなく、あくまで歴史研究や東洋文化の普及を目的としたうえで、その一環として孔子廟の管理公開等を行っているため、宗教的目的がメインであるとは言いにくかったのではないでしょうか。

そのために、宗教団体に触れることなく議論を進めていったと考えられます。

20条3項はいわゆるバスケット条項であり、これに反する限り89条、20条1項の検討の必要がないこと

条文を比較してみると、89条、20条1項は宗教団体等にあたるものに対する関与を禁止し、20条3項はおよそ一般的に国家の宗教的活動を禁止していることが分かります。

このことから、前者は後者に包摂される関係(バスケット条項)、すなわち89条、20条1項が20条3項の特別法的な関係にあることが言えると思います。

すなわち、89条、20条1項にあたらない行為の受け皿として20条3項が用意されているのであり、前者にあたるのが明らかなら前者で処理すべき(空知太神社参照)であるが、前者にあたらない、もしくはあたるかどうか微妙な場合には後者で処理すれば良い、という価値判断が働いたのではないかと考えられます。

本件では上記の通り参加人が宗教団体にあたるか微妙であったために、バスケット条項である20条3項で検討し、結論としてこれに反するのであるからもう89条や20条1項なんてどうだっていいじゃないか、と判断したのでしょう。

このように、宗教団体にあたるか否かで適用条文が変わることには注意が必要です。漫然と3条項すべて引用するのは条文解釈としては不適切ということになります。

 

長くなりましたが、以上より、那覇孔子廟判決の意義としては、「国家の継続的行為非宗教団体に対してなされていた場合、政教分離原則に反するかどうかは総合考慮基準で判断する」との立場を示したことにあるのではないでしょうか。

なお、国家の継続的行為が非宗教団体に対してなされていた事例としては、市遺族会に敷地を無償貸与した事例である箕面忠魂碑訴訟(最判平成5.2.16)がありますが、そこでは目的効果基準が採用されていました。

すなわち、那覇孔子廟判決は当該事案類型における判断基準を改めたものとして実質的な判例変更といっても過言ではないのではないかと思われます(個人の見解です)。

 

以上の理解を踏まえたうえで、次の記事ではこれら判例をどのように整理し、どう論述に落とし込むべきか考えたいと思います。