あの監督は、失くなってしまった物を探しているんだ。
大人になること、時が経つことによって、
身長は大きくなるし、記憶もあやふやになってくる。
成長だとか忘れただとか、
それは永遠の反対側にあって、
それは儀礼の一種であって、
この世界に生きている限り避けられないものだと思う。
自分のその運命に抗う気持ちと、
向上したいという気持ちがごちゃ混ぜになって
真ん中の所に結晶化した時、
悔いの無いように尽くせるのではないだろうか。
削り取られて喰い込んで膨張することは、
時には痛みであり、喜びでもあるけれども、
恐れて何もしなければ、
ただ、音も無く朽ちるのを待つばかりだ。
しかし、そうだとしても、核の所にあるものは、
外殻のおかげでけっこう
大事にされていると思う(そうであって欲しい)。
さきほどの永遠の辺りにあるものはこれだ。
自分であることはそう易々と変えられるものではないし、
大切にしている考え方だとか信じているものだとかは、
ちょっとやそっとではびくともしない。
むしろ、新しく加えられたものと複雑に絡み合うことの方が
多いような気がする。
それを解いていったり、
まとめて絞って汁を出したりして
映画や本などの作品や、
言葉になるのではないかと思う。
遠い先にあるものを目指すと、
沢山の嫌な味を感じることがある。
そして、しびれて頭がぼんやりしたり、
倒れて頭をぶつけたりする。
それでも、落としたものを拾い集め振り返りながら、
辿り着いた自分の姿を夢見るのが私たちだと思う。
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抽象的で分かりづらいため、
もし、ここまで読んでくれた方いましたら、
非常に気まずい思いがします。すみませんでした。
本記事は、
『きみを守るために ぼくは夢をみる』
という作品を、筆者様には失礼かもしれませんが、
かの監督の作品と関連付けて読み、
その感想をまとめたものです。