井上直久の絵が好きで、東京まで現物を見に行こうと思っていた2011年の3月に大きな地震が起きた。

バイト先の店長がバックレて、なんか急にいろいろ大変になった時期だった。

私は23歳ぐらいで、強い相手と交渉するとか、相手の出方をうかがうとかそういうことできなくて、社員とか偉い人に言われるままに振り回されるだけのダメなやつだったから、すぐにストレスで胃腸炎になって動けなくなり、病院の診療費とかでバイトでためてたお金がほとんどなくなった。

自分が過度にストレスに弱い人間だってことにまだ気づいてなかった(周りは気づいていた)

 

几帳面で超絶優しい年下の彼氏(現役大学生)が、長ネギとか買ってきてくれてそれでおかゆつくって食べて過ごしてた。彼氏は台所に立つどころか、包丁でバナナしか切ったことない男だったから(バイト先でチョコレートサンデーをつくるときだけ彼は包丁を持った)、結局料理は私がした。友達に生理用品とか買ってきてもらったし、先輩がきれいなマカロン持ってきてくれた。

 

せっかくためたお金だったのに、薬代とか通院費とかでどんどんお金がなくなって、ぼーっとしてた。井上直久の絵が見たいなぁ。ずっと見てみたかったのに、なんで忘れてたんだろう。東京に行こう。他にも森美術館とか、ジブリとか、あと天命反転住宅とか、頭に思い浮かべながら過ごしていた。

大きい地震があった日、ぐらぐら揺れていた原発を見て、頭の中で何かがガンガンと暴れてるみたいに痛くなった。

大きな津波に飲み込まれていく人たちを映像で見て、自分だけ死んでないことが嘘みたいだった。
おっさんの政治家が「これは天罰だ」とか言ってて、こんな風に自分だけ死なないって勘違いできる男って、洗濯機とか回したことないんだろうなと思った。手が吸い込まれたらどうしようとか考えながら、ぐるぐる回ってる洗濯槽に靴下を投げ入れたことが多分ない。生活の中には怖いことがたくさんあって、私たちはそれを日々感じながら生きてるけど、全然そういうことに鈍感な人なんだろうなって漠然と思った。(その後社会に出た私は、洗濯機どころか、お茶すら自分でいれない中年男性が世のほとんどなんだって知った。この時は知らなかった)

 

あの時からなんとなくいろんなことが変わった。

 

彼氏のことはめっちゃ好きだったけど、軽薄だった私は秋がくると別の男に乗り換えた。
 

近所に住んでいた10歳年上のサラリーマンが奥さんと別れて暇そうで、わたしがバーで一人でのんでいるとしょっちゅう横に座ってくるようになった。僕は在日でとか、原発に反対していてとか、聞いてもないのにいろんな話をしてきた。そういえばこの人は2年ぐらいこのバーでよく一緒になるけど、会話の内容からしてミソジニー丸出しのネオリベで私の友達界隈では要注意人物になっていたんだった。単身赴任先の東京で大地震を経験して、思い出すだけで今でも吐きそうだと言っていた。なんか、雰囲気変わったなぁと思って「へぇ~」「そうなんですね~」って話聞いてたら、気づいたら毎日バーで待ち伏せされるようになった。

全部、ついこの前のことのような気がするけど、

引っ越しの準備のために整理してた机の奥から、あのころの写真がでてきて、肌ツヤが全然違う自分たちの姿に、10年の時の流れを感じた。

引っ越しは6月末になりそうだ。

3歳になる子どもの保育園の送り迎えがとにかく大変で、少しでも保育園に近い家に住みたいと言ったら、夫は1年以上悩んで新居を購入することに決めた。6年間しかない保育園時代だぞ、1年も悩むなよと嫌味を言ったけど、あんまり人の話を聞かない人なので私の思いは伝わってない。

 

新型ウイルスの感染が世界中で広がっていて、社会が大きく変わっている。せっかくの新居への引っ越しなのに、家具を見に行くこともできず、外出できないイライラをとりあえず文字にするしかない。

井上直久の絵を見に行けないままにまた10年経ってしまった。久しぶりに見に行った画家のHPは、中学生の頃毎日見に行っていたあの頃のままだった。
グッズ通販のサイトは閉じられていた。20年前はここから画家の絵が入ったカレンダーを買うことができた。学校に行くのが嫌だった私はカレンダーが届くとすぐに終業式までの日にちを数えて毎日のひとますひとますに丁寧な字で記入していた。
よく見ると画家の絵は複製のもので1枚5万円ほどから手に入る。買えるじゃん。5万なら買える。10代の頃何度も眺めた絵がやっと手の届く存在になったんだな。
 

新居には夫婦それぞれ、自分の部屋をつくることにした。子どもが大きくなれば明け渡さなければならないだろうけど。それまでは。自分の空間がある贅沢を、子どもが3歳になるまでのこのハチャメチャの期間で思い知った。団子のように固まって飯を食い、芋のようにお互いを洗い、充分に水を拭き取れていないままに布団にくるまって寝る毎日も過ぎればきっといとおしいものになるだろう。しかし、自分だけの時間、自分だけの場所に今はあこがれずにいられない。
絵を買って、どこに飾ろうかな。どの絵を買おうかな。今度こそ東京に行って、原画を見たいな。