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先週末のご報告。家の断捨離を済ませて気分転換。
丸ビル36階にあるレストランにお邪魔しました。
東京駅をこの角度で見るって、中々面白い。
こういう場所でないと家族は今後の予定などしっかり話してくれないので(なんでよ?)
ゆっくり話せました。
大事な方を招待するのに間違いないなと感じます。月並みですが・・
大変美味しかったです。是非。
思い出した・・・
高い料理はお皿がでっかい!!ってこと。
娘ちゃんがこれ見て「ぽっちーんって感じね!」と
すみませ〜ん肌色に合わせて明るさ出したら
あれれ?天国にいるみたいに白くなっちゃったよ!ガハハ
いらん前置きを失礼しました。🙇♂️
では、ご紹介したい一説を。
「教養を磨く」(光文社新書)より
田坂広志 著 ※できるだけ抜粋そのまま記載します。
中国の前漢時代の書「淮南子」(えなんじ)に「塞翁が馬」の故事がある。
皆様もご存知で今更記すまでもないのだが(ですよね?)
人生の幸運不運は人智では解らないとの教えでもある。
これとよく似た故事に「人生は糾える縄の如し」という言葉がある。
幸運と不運は交互にやってくるという解釈であるが
作者はさらにこう述べる
「幸運は不運の姿をしてやってくる」
人生で与えられた苦労や困難、失敗や敗北、挫折や喪失、病気や事故など様々な逆境を振り返るとき「あの苦労のお陰で大切なことを学べた」「成長することができた」「この道へと導かれた」といった感慨を抱く人は少なくないだろう。
いかなる逆境も肯定的に受け止め、それを超えていく力「人生の解釈力」と呼ぶべき力を身に付けることができるだろう。この「逆境を肯定的に解釈する力」それこそが「不運」に見える「幸運」へと転じていく力に他ならない。
この解釈力がなければ人生の逆境を前に「なぜこんなことになったのか」「なぜこうした不運が降りかかったのか」「なぜ、自分はいつも不運なのか」と言った後ろ向きの想念、否定的な想念に支配され、目の前の問題に正対して取り組む力など生まれてこない。
もし、我々の人生が大いなる何かに導かれているのであれば、
人生で与えられる様々な出来事には意味がある。
「解釈力」とはこの意味を考え続ける力に他ならない。
この「解釈力」を身に付け、どこまでも深めていくならば、
次の言葉が真実であると感じる日が来るだろう。
「人生で起こること、すべて良きこと」
以上でした。
ここまでお読みくださってありがとうございました。
先日咲いた牡丹です・・一輪の大きさの凄いこと。
毎年牡丹を贈ってくださる方がいました。一輪の花びらの数の凄さ。
以下、興味のある方だけどうぞ。
なぜ今この内容なのか、は以前から決まっていたに過ぎませんが
心を痛めている人が多いなら、じっと春を待つと言う時間も大切
苦しい時は、何を見ても何を聞いても苦しい。
こんな時になんですが・・・
自分の気持ちが悉(ことごと)く裏切られた感じはいかがですか?
昨年それを1人で抱えていた時期がありました。
信じていたから辛い。どうでもいい人なら何も感じない。
辛いなって思えたら、それは一生懸命だった自分を褒めよう。
裏切った人が絶対悪であって、信じた自分が馬鹿だったわけじゃない。
足元が抜けるような感覚、何が悪かったのか自責したり
それを救ってくれたのは自然だったり
気付きだったり。
何気ない人との会話
話してくれるのは人なのにそれはきっと
その人を介して私へ誰かが届けた想いや言葉に違いないと
感じることができたから。
いろんなことが見えてきました・・・
これもね全く、その通りだよ。って
どっかで見てた?
あちらへの投稿はとりあえず、すぐにやります。
しかし、安定して見ていきたいので
シリーズものはちょっと先へ伸ばします。
辛いことがどこまでも続くように思えても
敵が多く、味方がいなくても明けない夜はない。
地球は回ってる・・・
とりあえず、明日の朝日を見てみよう、と
ただただ毎日の朝日だけを待つ。
それでもいい。
心を持っていかれ過ぎませんように。
平穏が感じられますように。