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新規で最近沢山の応援を頂きありがとうございます。励みになります音譜

金沢兼六園にて 苔と椿

 

下差し今回のほとんが自分なりの解釈ですみませんお願い

 

難しい学術書をたくさん読まなくても、

大学などでわざわざ仏教を専門に勉強しなくても

何年も必死に仕事をする、

何かに誠心誠意心を込めて行う

例え理不尽でも、心を平に自分を失わずに居られる

利他に生きることをしている

懸命に生きている人は何か、を掴む。

厳しいことや苦しい事は魂の修行だから。

 

 

 

真剣に目の前の事象に向かう たったそのことだけで

厳しい滝行をしなくても、

見え方、感じ方が変わってくる瞬間がある。

 

 

 

さて、前回の続きから。

 

悟りという単語でいつも語られるのが 釈迦の悟の場面

修行を否定する方は(そういう人もいる) 

鬼の首をとったように見えるのは、自分だけか・・?

 

 

あの釈迦だって厳しい修行の時には悟れなかった。だから

 厳しいだけでは何も見えない。修行なんて意味がない。

 行き着く先が同じなら、厳しいことなど一切することはない、

 しなくても良いのに。」 と←口に出す言葉にもっと注意をしなくてはね。

 

その認識は全く間違いだと思う。

壁まで突き進んだことはある?

これはやり切らなかった人の言葉ではないか。

何かを悟るなど厳しさを味わうことなしに到底、つかめる筈がない。

 

どんなことでもやり尽くさなければ 

その先の景色は見えない。

限界に行き着いてやっと

そこに初めて壁ができる。

物事をやり尽くした限界点には常に壁があるが

何事もやり尽くさなければ壁すら見えてこない。

 

先の景色は この壁と感じるものを突き抜けてこそ。

 

 

厳しい修行と行動思考の真剣さで何かをすることは

どこかで繋がっている。

修行や苦しい経験から培われる全ては

決して無意味なんかじゃない。

 

どんなことにも意味を持たせられるかどうか

それはその人間の覚悟による・・

 

仏陀「真理の言葉」から超ちょこっと出し。

(ノートにまとめても数ぺージあるのに無理ガーン

(ダマハンダ 423の詩から成る)

仏陀の考える世の中とは苦しみの世界、その苦しみには二種類あり

①どうにもならない苦しみ②欲からくるもの

 

シャカ族とガーリア族の争いの元は水がもと。小さな原因が恨みの連鎖を生む。

「恨みを抱く人の中で、私は恨みを抱くことなく安楽に生きよう。」

執着は選択肢を狭める、

自我の周りの自分の所有する世界から苦しみが生まれるなら

その場で一番大切なものを選びとっていくのだ。

苦行に耐えても 煩悩は消えなかった。

煩悩の最たるもの、極みは無明※明→智恵この世の有様を正しく見ること。

 

「愚かな者が自分が愚かだと自覚するなら、そのことによって賢者となる。」

沢山の苦しむ人への釈迦の言葉から

「苦しみを受け止め、自分自身を変える」ことを提唱する

苦しいことを苦しいと感じるのは心の中のことである

心のコントロールの大切さを教えています。(たぶん💦)

・・・という内容を踏まえて以下の言葉です。

 

1951年 サンフランシスコ平和会議に於いて

当時セイロン(現スリランカ)の代表であるジャワデルネ氏

諸外国が戦犯である日本へ糾弾の声冷めやらぬその会議で、

歴史に残る演説を残しています・・・

 

これは本には書かれていませんが、この一節を知った時

鳥肌がたったのを覚えています。ぐすん

どんな先進国からも賠償の額や、どれだけ日本が残虐なことをしたのか

を列挙する中こう続ける。

 

「・・・確かに、我々も日本人、日本の国から被害を受けた。

 

でもそれは戦争という状況の中だったのだ。

我々は、日本に賠償を求めようと思っていません。

なぜなら私は仏教徒であり、仏陀の言葉を信じているからです。

 

【憎しみは憎しみによって止まず、ただ愛によってのみ止む】

真理の言葉 NO.5 

この世では恨みが恨みによって鎮まることは絶対にありえない

恨みは恨みを捨てることによって鎮まる。これは永遠の真理である。」

 

咄嗟にこのような国際会議の場で使う。

そのような人は見たことがない。

相手を攻め立て有利に立ち

いかに交渉をうまくやろうとする輩が多い中

ただ一つ、仏陀の言葉を信じている、私は仏教徒であるから。と

堂々と演説したこの人の声が、まさに真の仏教徒の姿ではないかと考えさせられる。

 

 

幸せになる道のための修行のやり方一つで考え方一つ

あっちが間違っているとか、こっちが近いとか

そんなものどうでもいい線引き。

もう、その区別をやめたら良い。

そういう思いが争いのもと、水一つが

長年の、もう誰も原因が解らない戦争のもとになっているんですよ?

 

執着を手放す、ただ、それだけ。

 

今回ここまでにします、後編まで。

 

全然、言いたいことがまとまらず

そして読んでも?となると思います。ごめんなさーい!

 

※これ、私撮ったんです!上手?え?褒めて〜!!

 

セビリアのスペイン広場

 

イスラム建築とキリスト建築が融合し、

各地のスペイン広場の中でも特に美しいと言われています。

少なからず、感動した理由が

この地のイスラムもキリスト教徒も考えられないほど融和

お互い相手の信じる神のリスペクトがあったに違いない

なぜ現代人はその足元にも及ばない?

なぜ話す手段は溢れているのに解り合えない?

 

 

 

 

ものすごく長くなってしまいましたが、お疲れ様でした〜!

次は後編です。

最後までお読み下さってありがとうございました。