大島石の歴史を知るには

石屋治右ヱ門という人物も知っていただきたい



今治出身の治右ヱ門は、大阪城築城の祭に人夫として働き

石積の技術を習い覚えたそうです

その後、今治に帰ってきて

更に腕を磨いた、治右ヱ門の名は

近郊に知れ渡るほどに


そして、石工の棟梁の一人として

今治城築城に加わることに

しかし、今治城完成前後に

城の秘密を知るものは、口封じに処刑されることに

密かに、その手筈がととのえられていた中

治右ヱ門の技量を惜しんだ武士が

処刑の事を知らせたことにより

治右ヱ門は、月の暗い夜に

蒼社川の河口より用意していた筏で海へ

大島の泊地区にたどり着くことになる

泊から念仏山の深い谷に落ち着き

隠れ家を構えて住むようになりました


たまたま、隠れていた 余所国(よそくに)に

良質の花崗岩があることを知り

自らの技術を活かして

石を切り出すようになったという


それが、現在、高級墓石として

採掘されている大島石丁場の起源と言われています


治右ヱ門の子孫は、現在も大島石の採掘を行っています

その後、大島石は

余所国から、宮窪へと

開発が行われるようになりました




現在の余所国地区

$局長の独り言-余所国地区




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