おしぼりズム的中国活動~Part8~ 二〇三高地
二〇三高地を訪れたご一行様でありますが、
日露の激戦で揺れた時代から、既に100年以上経っているとは言え、
何か、依然として重苦しい雰囲気を肌で感じるのでありますが、
気を取り直して、元気一杯に歩き詰めていくのであります。
いよいよ、潜入ルポの様な形式になってまいりましたが、
なかなかの貴重な経験ですので、つぶさにご報告を申し上げようと思っております。
緩やかな傾斜を登ってまいります。
歩くこと、僅か10分程で頂きまで上がれるのでした。
売店が見えたと思ったら、
現地の人から即座に「安いよぉ」と声をかけられるのでありますね。
何故か、しきりに「烏龍茶」を勧められるのでした、、、。
「ウーロン茶、アルヨ、ウーロン茶、アルヨ、」
少々、山を登ってドビィー様も一休みですね。
1904年の日露戦争で主要戦場でありましたこの二〇三高地ですが、
ここを奪取する為に、ロシア軍5000人以上、日本軍は1万人以上が死傷いたしました。
戦後、旧日本第三軍司令官の乃木希典は死亡将兵を慰霊する為に、
銃弾の形をした塔を鋳造して、「璽霊山」と名づけました。
歴史が残した事実は事実として受け止めなければなりませんが、
大事な事は、
人類と人類が衝突した爪痕を鑑みて、
まさに「ラブ アンド ピース!!」を胸に刻み付ける事でありますね。
BY ZARA
↓ピース!!



