きょうのNHK大相撲テレビ桟敷で、

柏鵬~北玉時代と告知があったので、それまでに北の富士さんまで終えたかったけれど、

とても遅れています。

なんとか、柏戸さん滑り込み!走る人

いつもより非常に乱文です。と、始めに言い訳をしておきます(m´・ω・`)m プリン

 

 

さてパンダ小兵同士の「栃若時代」の後を継いだのは、

大型同士の柏戸と大鵬と言われますが、

 

柏戸は、188cm、139kgで、(スタンプのところ)

今の力士でいうと、若元春が一番近い。次に、千代翔馬、千代の海。

決して大型ではないですよね。(´・ω・`)

やはり現代の力士は大型化しているのだろうか。

 

 

 

 

 

【第47代横綱 柏戸剛(かしわど・つよし)】

 

ダルマ生い立ち

 

昭和13年11月29日生まれ、山形県櫛引町(現鶴岡市)出身。

中学時代から180cmを超える長身のスポーツ万能少年で、

高校ではサッカー部と柔道部を掛け持ちし、青年相撲大会でも活躍。

噂を聞きつけた伊勢ノ海部屋の後援者に誘われ、

東京見物のつもりで上京し、そのまま入門することになったのだとか。東京タワー

 

29年9月、15歳の時、本名の富樫(とがし)で初土俵。

当時から右差し一気の寄りで、番付を駆け上がります。

 

33年5月、若手有望力士が揃った優勝決定戦では「七人の侍」と言われたり、

同年19歳で新入幕を果たすと、若秩父、豊ノ海とともに「ハイティーン・トリオ」と命名されたりしました。(ナイスネーミングセンス口紅

 

そして幕内4場所目、伊勢ノ海部屋伝統の四股名「柏戸」を襲名。

この場所では、千秋楽まで優勝を争う好成績で、敢闘賞と技能賞を受賞しました。

相手に出足を止めさせない、「右を差して一気に出る速攻」にも、さらに磨きがかかります。

 

のちに大相撲の一時代を共に築く大鵬の「柔」に対して、柏戸は「剛」の魅力に満ちていたと言われます。

 

 

ダルマ柏鵬時代

 

大鵬との初対決は、35年1月場所12日目。

新入幕で11連勝と破竹の進撃を見せていた大鵬のストッパーとして指名されたのです。

注目された大一番は、めまぐるしい攻防の末、柏戸が下手出し投げで先輩の貫禄を見せますが、のちに柏戸は、「勝ったけれど自分の相撲を取れなかった」と話しています。

この場所、柏戸は2回目の技能賞、大鵬は敢闘賞。

土俵を大いに盛り上げ、いよいよ柏鵬時代の幕開けとなります。クラッカー

大鵬が大関昇進し、柏戸と並ぶと、柏鵬の綱取りレースと盛り上がりますが、

36年、2人のライバル関係に期待するファンの声に後押しされ、

柏戸と大鵬の同時横綱昇進が決定。

相撲史始まって以来の若い横綱で、どこへ行っても柏鵬ブームで、

テレビでは、水も滴るばかりの堂々たる美丈夫「大鵬」と、

鋼鉄を思わせるような逞しさ「柏戸」による華やかな大相撲絵巻が展開される、とアナウンスがされるほど。

高度経済成長期の日本で、約8年にわたって続いた柏鵬時代でした。

 

 

ダルマ復活キラキラ全勝優勝

 

横綱昇進後、着実に優勝を積み重ねる大鵬に対して、

柏戸は、2桁勝利は続けるものの、なかなか賜杯がつかめませんでした。

 

さらに、右肘の怪我や肝機能障害などで、38年1月には、入門以来初の休場となる全休、

3月も途中休場、5月7月も全休してしまいます。

その時、柏戸は栃木の塩原温泉で長期療養に入りました。

トレーニングの他に、地元の中学生とバレーボールをして、心身のリハビリに励んだそうです。

 

そして迎えた38年9月。3場所ぶりの土俵で、千秋楽、全勝同士の大鵬と激突します。

大鵬は、前々場所まで6連覇の勢いに乗っていました。

注目の一番は、寄り切って柏戸の快勝。

 

16場所ぶり、2度目の優勝、4場所連続休場明けで、ライバルとの全勝対決を制し、

見事苦難から立ちあがったのです!!

その後、怪我や病気に悩まされながらも、5回の優勝を成し遂るなど熱戦を繰り広げ、

ファンの心を惹きつけました。

 

 

ダルマ大鵬が愛した柏戸

 

ところが、この一番に関して、

当時作家の石原慎太郎氏が、八百長だとスポーツ紙のコラムで批判し、

大騒動になったのです。

これについて相撲協会は告訴し、石原氏が謝罪して落着したのですが、

長い闘病に打ち勝って優勝し、嬉し涙にくれた柏戸の気持ちはいかばかりだったか。

 

しばらくして柏戸と2人でタクシーに乗った大鵬が、

「いろいろ辛かったろうね」と一言かけると、

「うん」と言って、ぼろぼろ泣いたそうです。

 

その涙を見て大鵬は、「この人は素直でいい人だな」と、親しみを感じたといいます。

これを機に、心の距離が一気に近くなり、よく一緒に飲みに行き、

いろいろな話をするようになり、ライバルから親友になったといいます。

 

大鵬の自伝を読むと、大鵬が柏戸のことを尊敬し、大事に思い、

そして大好きだったんだなぁと感じます。

 

家族ぐるみで、お母さんや奥さん同士も仲が良かったのだとか。

そして、柏戸も大鵬のことを、「天才」ではなく、誰よりも努力を続けている人だと

分かってくれていたことを、大鵬は嬉しかったのです。

柏鵬時代を担った2人の関係や絆が、とても尊いです。

 

 

ダルマ鏡山親方として

 

 

昭和44年、7月場所4日目28歳の時、引退を発表。

引退後は、独立して鏡山部屋を創設し、関脇多賀竜らを育てました。

長く審判部長を務め、現役時代そのままの迫力で、土俵下から力士たちに睨みをきかせていたと言われます。58歳、早すぎる死でした。

 

 

ダルマまとめ

 

柏戸の全勝優勝での復活は、

どれだけ苦しい時があっても、人は這いあげれるんだと勇気をくれます。

 

 

虹柏戸がいた時代

昭和40年・・マンネリ化した取組編成を打破するため、初場所から部屋別総当たり制を実施。

昭和41年・・大相撲テレビ中継から民放テレビ局が相次いで撤退し、3月場所からNHKのみに。

昭和44年・・東名高速道路全線開通。

 

 

ベル参考文献

横綱&大関大艦(ベースボール・マガジン社)

歴史ポケットスポーツ新聞相撲(大空ポケット新書)

大相撲大全集~昭和の名力士~参(NHKDVD)

大相撲 あの力士、あの一番(荒井太郎 ソニー・マガジンズ新書)

相撲大事典(現代書館)

もういちど読む山川日本史(山川出版社)

巨人、大鵬、卵焼き(大鵬幸喜 日本経済新聞出版社)