相撲記者になりたい!

テレビで伝えたい。

 

 

相撲一本で生きていきたくて、

去年は出版社の試験を受けたりもしましたが、

その壁は厚く高い。

 

 

少しでも夢に近づきたくて、

場所中は国技館のアルバイトをして相撲に関わったり、

稽古見学に行って情報収集をしたりしていましたが、

 

 

今は、実際に見たり話を聞いたりすることができないため、

常日頃惜しみなく多額の費用をつぎ込んで購入している、

私の家にある、良質で大量の相撲の資料をもとに、

相撲の歴史を徹底的に勉強することにしました。にひひ

 

 

せっかくだから、

それをブログにまとめていこうと思います。

 

 

相撲が好きな方に、

楽しく読み進めてもらえたらいいな、とも思います。

 

 

横綱を軸に紹介しながら、

できるだけ短くをモットーに。

 

 

(試行錯誤しながらマイペースに参りますので、

どうぞお手柔らかにうさぎクッキー

 

 

 

まずは、DVDにも収められている、戦後の大相撲からベル

 

 

一応、この辺で写真を一枚入れておきます。

これは、今の力士の身長と体重を表にしたものですが、

41代横綱千代の山は、190cm122kg。スタンプの辺りです。

 

 

 

【第41代横綱 千代の山雅信(ちよのやま・まさのぶ)】

 

ダルマ1.生い立ち

 

北海道松前郡福島町出身。

幼い頃から身体が大きく、小学生の時には、宮相撲で上級生をなぎ倒して優勝。

憧れは「双葉山」でしたが、31代横綱常ノ花の藤島親方らに熱心に誘われ、出羽海部屋に入門。典型的なそっぷ型で筋骨たくましく、当時から将来の横綱を期待されていました。そして、15歳で初土俵。

 

 

ダルマ2.戦後の土俵を盛り上げる!

 

千代の山の新入幕は、戦後初の本場所となった昭和20年11月。

旧両国国技館は、回向院境内にあり、空襲で焼けたままでした。

 

そんな中、19歳の千代の山は、初日から突っ張りを炸裂させて10戦全勝。

敗戦に打ちひしがれた戦後相撲界に輝く星、とも言われたそうです。

 

4年後大関、その2年後、24歳で横綱に昇進。

「青年横綱」と呼ばれ、多くの人気を集めました。

 

190cmの長身から繰り出される強烈な突っ張りに加えて、

横綱になってからは四つ相撲も覚え、

左からの上手投げを豪快に決めるなど相撲の幅が広がります。

 

 

ダルマ3.横綱返上

 

しかし、横綱になってから、腰痛などに苦しみ、連敗や休場が続きます。

これでは横綱の責任を全うできないとして、

「心機一転、大関の地位からやり直させてほしい。」と、

異例の横綱返上を申し出て、騒動になりました。

 

しかし、横綱の格下げはないという相撲界の鉄則から、

返上は受理されず。

 

その後約5か月、和歌山の高野山にこもって再起を図り、

復帰場所の28年9月は11勝4敗。

30年1月は、4回目の優勝。横綱になって初めての優勝です。

次の場所も優勝。

さらに32年1月の6回目の優勝は、初めての全勝優勝です。

 

 

円熟期の横綱が、

勢いある若手らを相手に、見事な復活!

 

 

実況のアナウンサーは、

「仁王のような強さを見せた。古武士のような風格。」と称えていました。

 

 

ダルマ4.九重部屋を興す

 

今も人気関取が多く在籍する、名門九重部屋。

その礎を築いたのは、千代の山です。

 

 

出羽海部屋で、部屋付きの九重親方となっていた千代の山は、

分家独立は認めずという不文律を破り、破門されながら、

部屋の看板力士北の富士ら10人の力士を引き連れ、

九重部屋を設立。

 

独立直後の昭和42年3月、北の富士が初優勝。

十両優勝も九重部屋の松前山となりました。

 

北の富士を横綱にまで育て、

やがて訪れる千代の富士、北勝海らの九重黄金時代の礎を築いたのです。

 

 

ダルマ余談

 

(1)当時の実況

 

NHKのアナウンサーが、

千代の山の身長と体重を、

「6尺3寸6分!体重も増えて33貫500!」

と叫んでいました。(1貫=3.75kg)

 

立行司式守伊之助は、お雛様の左大臣みたいに

真っ白な髭をたくわえているのですが、

 

「髭の伊之助!」

 

という実況もありました。にひひ

 

 

(2)横綱見送り

 

戦後、大相撲と人気を二分していたのがプロ野球ですが。

 

アメリカ大リーグとの親善試合を、病気休場中の横綱前田山(高砂部屋)が、場所中に観戦していたとして、横綱の権威を問われた協会。

 

厳しい世論に対する慎重論もあり、千代の山の横綱昇進は見送りとなってしまいました。

また、師匠が12勝という成績への不満から辞退を申し入れたという説もあります。

 

 

 

ダルマまとめ

長い休場を経てからの復活がすごい。

綱の重さと闘いながら、見事に土俵を務めあげた横綱でした。

 

 

ベル参考文献

横綱&大関大艦(ベースボール・マガジン社)

歴史ポケットスポーツ新聞相撲(大空ポケット新書)

大相撲大全集~昭和の名力士~壱(NHKDVD)

大相撲 あの力士、あの一番(荒井太郎 ソニー・マガジンズ新書)

相撲大事典(現代書館)

もういちど読む山川日本史(山川出版社)