ケララに魅せられて。その2 | O.S.D.さり オフィシャルブログ powered by Ameba

ケララに魅せられて。その2

朝も早よからジェッティー、つまり船着場へ。
日が昇って間も無いのにすでに汗ばむ様な熱気と乾燥。
そこそこきれいでそこそこボロい、
2丁拳銃がいればきっと、
インドで乗る船、これ、ちょうどええ。
って言うぐらいの船に乗り込む。
ちなみに2013年度版地球の歩き方から200ルピーも値上がりしていた。
しっかり英語で文句を言ったところ、
その受付の南インド人は燃料費が上がったから仕方ないんだ、というんだけれども私は信じていない。
もはや疑うことしか知らない。
純朴ってなあに。
愚直ってなあに。
ありのままの姿見せるのよ。

ここから8時間だ。
8時間は耐えるに忍びないことが容易に想像しうる、
硬いってゆうか、木。


木の椅子。
木以外の何でも無いとゆうか、木でもじゃあ例えば広葉樹と針葉樹があって
どっちが実際とかは知らないんだが、
ただイメージ的に針葉樹の方。
ぐらい硬い。
必要以上にうるさいエンジン音と一緒に、
白人とインド人観光客に囲まれてさあアラビア海へ。



ヤシの木、
カワセミ、
飛び魚、
象を洗ってたり、
川沿いの家での生活を垣間見て、
漁師さん、
そしてヤシの木、
ヤシの木ヤシの木。



飽きる。
余裕ですぐに飽きる。

そこからヤシの木。
何かの鳥、
魚、
お昼休憩、
ヤシの木。

そこから一周回って面白くなってくる。
日々あまりにもたくさんのことを考えて、
他人との軋轢とか不要なまでの責任とか、
そうゆうのが全部どうでもよくなる。

ほどには椅子が硬くて笑えてくる。
まだ全然進んでいない川の真ん中で笑えてくる。

瀬戸内寂聴先生が語りかけてくる。
私の中の神とやらと対話する。

ああ、こう言う、
ネットもなくて本も無くて、
ただただ自分と向き合う時間ってあんまりなかったな。

何か色々、無駄に見えてくる。
あっち側、今。






GIRL/奥田英朗



そうか。
こんなおもしろかったのはそれは空中ブランコの作者か。

私みたいな想像力欠如の直木賞しか意味わかりませんのラッスンゴレライでも、
鳥肌が立つほど自分と重なって、
そんな普遍性に救われてえぐられて、
とにかくインドに疲れきった体に鞭打ってでも、
一晩で読んでしまうほどにはおもしろかった。

そうか、もうgirlじゃないんだ。
だけど自分が好きな様に生きていいんだよ、
そう言うの全部認めてあげなさいよ。

ってこのオッサン直木賞作家にどーんってぶつけられてしまった。

驚いたのは作者が男性だということ。
ジェンダーなんか関係ない。
性別云々ってこの文明社会で時代遅れなことをいつまで。

あなたはあなた。
そのまんまで全然良い。

ちょうど20年前、とんでもない揺れでおばあの横で我に返って、
学校が休みになったー!なんてへらへらしていた折、
とんでもない映像がテレビから流れて来て、
青ざめることしかできなかった自分に、
こっそり吐いてこっそりその日の新聞をとっておいた自分に、
まだ何も知らなかった、
知らなくって良かった自分に、
20年後の私はインドから思いを馳せてみる。