似非保守 | 徹通塾・芝田晴彦のブログ

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基地問題を考える愛国者連絡会 / 自由アジア連帯東京会議

「保守主義」と云ってもその思想や定義は様々であり、時代や状況、国によっていろいろな側面を見せるが、少なくてもわが国の代表的な保守を標榜する政党が、先日総裁選を終えたばかりの『自由民主党』である事には異論は無いだろう。

社会主義勢力の台頭に対抗する為、長らく吉田茂が総裁を勤めた自由党と、鳩山一郎率いる日本民主党が昭和30年、「保守合同」を果たして誕生したのが現在の自由民主党であるのはよく知られている。

自由民主党には思想的に、その成り立ちに由来する大きな二つの系統があった。一つは旧自由党系の『保守本流』であり、源流は昭和31年に首相となった石橋湛山であるとされている。大正デモクラシーにおけるオピニオンリーダーでもあった石橋は、当時より「民主主義」を提唱し、台湾・朝鮮・満州の放棄を主張するなど「小日本主義」を掲げ、軍事力の強化と植民地を持つことの経済的な無意味さを問い続けたリベラルであった。もう一方の、日本民主党系の『傍流』は、簡潔に云えば国家主義である。

自由民主党において、『保守本流』は「護憲」「軽装備」「対米協調」を旨とし所得の再分配を強める政策を取る一方、『傍流』岸信介の系譜は「自主憲法制定」「自主軍備独立」「対米自立」を掲げたとされている。



『保守本流』の代表的な政治家が、日中国交正常化を成し遂げた田中角栄である。「日中…」は石橋湛山の願いでもあった。田中は訪中する直前、病床の石橋を訪ね「「石橋先生、これから中国に入って参ります」と報告してから交渉に向かった。また、「日本は軍事大国をめざすべきではなく憲法9条を対外政策の根幹にすえること」が田中の持論であった。

もう一つ。『保守本流』は日米安保体制堅持かつ対米協調路線と見做されているが、当の石橋湛山本人は吉田自由党時代の大蔵大臣在任中、当時わが国の国家予算の1/3を占めていた進駐軍経費の負担を下げるようGHQに要求。結果米国から嫌われGHQより公職追放された。復帰後、通産大臣となった石橋は中共やソ連(当時)との通商関係促進に邁進、再び米側と対立する。これが後の田中角栄による日中国交平常化に結び付いた。

一方の岸信介は「対米自立」を目指した。CIAのエージェントであったとも伝えられる岸ではあるが、反共主義を強調して米国の起源を伺いながらも、不平等・片務・従属的な旧安保条約を少しでも平等なものにしようと尽力した。岸を「対米…」と見做すのに異論もあるだろうが、米国に対して「面従腹背」であったのは間違い無いだろう。

そして。『傍流』ではあった岸信介だが、その主張である「自主憲法制定」は現在に至るまで自由民主党の党是である。また、福祉国家建設に尽力した『保守本流』石橋湛山の後を継ぎ、国民皆保険・国民皆年金を実現し、更に最低賃金法も作ったのは他ならぬ岸内閣である。



リベラルのジャーナリストであった石橋湛山の系譜である『保守本流』、北一輝に感化されたとされるナショナリストの岸信介の流れを汲む『傍流』、保守としてどちらがいいとは一概に言えない。但し共通するのはどちらも常に「米国からの自立」を考えていたことだ。

今、政界では『保守本流』なる呼び方は死語となった。その原因は『不沈空母発言』中曽根康弘の登場によるものだろう。かつて中曽根は、安倍晋三を『保守本流』、小泉純一郎を『傍流』と評したらしいが三人共、対米全面屈服の新自由主義者である。自由民主党が自主憲法制定を唱え続けたのは、あくまで敗戦で失われた国家主権を取り戻すことが目的だ。

安倍晋三は憲法改正や軍隊の保持に熱心だが、結局は自衛隊を米国と一緒に戦える軍隊に変貌させることに過ぎない。で、わが国は今までどおり米軍に護ってもらいたいというものだから『保守本流』『傍流』いずれとも違う。そして小泉内閣以降、わが国のルールは片っ端から「米国化」され続けている。それは保守主義どころか「日本の米国化」であり、決して『保守本流』などではあり得ず、むしろ『似非保守』とでも呼ぶべきものだ。