本日は終日雨予報⤵️
ニシンに沸く歌棄
商人「橋本家」の遺構。
仕込屋という仕事をしていた。
網元や漁師に品物や金を貸し、
代金を数の子、身欠鰊、鰊粕等で返済してもらってこれを売る商売。
その後旅館となり、今は蕎麦屋が
はいっている。

寿都〜岩内を結ぶ国道229号線
通称「日本海追分ソーランライン」
私の好きな「奇岩」がたくさん
点在している。
あいにくの雨で視界が悪い😐
しかも旧道を潰してトンネル
だらけなので、折角の景色が
見れない。
しかもしかも、雨なのに皆さん
バンバン飛ばすので目標を
見落としてしまう😵

原子力PRセンター とまりん館
福島の事故を受けて
うちは安全ですよ〜アピール😮
まだ、3基とも動いてないけど。
無料のプールとかあるけど
原発の排熱利用のはず。
どうやって温めてるのかな?
なんと言っても
「高レベル廃棄物の処理」
これが原発の最大の問題よね。
地下深くに安全に保管って…
未来人が遺跡発見!放射能に
汚染された〜
ってなりそう🤨
こんなのが大好き😌
この先も凄そうなのに、旧道はここで終わり😑
鰊御殿とまり
旧川村家番屋
明治27年に親方の川村慶次郎氏
によって、漁場を経営する親方と雇った漁夫(ヤン衆)が共同生活をするために、独特の構造で
建てられた。
鰊漁が始められたのは、今から約300年前といわれている。
明治になって鰊漁が全盛期を
迎えると、50を超える鰊番屋が建ち並んだ。
入って右側が親方の住まい。
左側がヤン衆達の生活の場。
板の間に60人程が生活。1人分のスペースは畳1畳にも満たなかった。
親方 川村慶次郎と奥様の肖像画
親方家族の居間。
当時の調度品
100年前の布団を、再利用して
作られた座布団。
元々の品質が良いので
柔らかい感触のいい座布団に
仕上がっている。
あてがわれてたんやね☝️
炊事場と餅つき部屋
力仕事のヤン衆達に3食、場合に
よっては4食の食事を提供せんと
いけんので、(それも食べ放題)
それは忙しかったろう。
不漁時に借金取りから逃れる?
等の理由で隠し部屋が
作られていた。
移築時に当時の棟梁が気付いた
らしい。
旧武井邸客殿
川村家と廊下で繋がっている。
大正5年頃建てられた建物で、檜や杉、瓦などほとんどを本州から取り寄せ、贅の限りを尽くした。

鰊売買について交渉している。
欄間の彫刻

1本数百万と云われる黒檀の床柱

麻の葉模様の透かし障子
外すと二度と元に戻せない程の
精密さ。
贅沢に使用されている。

娘さんの婚礼の様子を再現。
廊下の板張りにも
よく見ないと気づかない細工が
してある。
トイレの天井
唐傘天井というらしい。

蔵の中は
ニシン漁に使う道具が展示。
この蔵におったら急にあちこち
痒くなってきたので退散😅
1年の稼ぎを3〜5月の3ヶ月
で稼ぐという。
昭和32年にニシン漁は終焉…
色々理由はあるらしいけど
取り過ぎやろ🤨
岩内でラーメン
またラーメンですみません…
札幌ラーメン、好きじゃなかったんやけどねぇ…
またニセコに戻ってきた😅
最初来た時は素通りやったので…
道の駅ニセコビュープラザ
と
ニセコ大橋
川と山がセットになる天候
やったら最高のスポット✨
明日に期待🙏