<改訂>北斗の拳
最後のラオウVSケンシロウの決闘は、小次郎VS武蔵の巌流島の決闘に匹敵する緊張感があります。(そしてメリハリがありました)
女性の描き方にかなり問題を感じさせる部分もありますが、それは野蛮な時代へ逆もどりしているわけですから、よしとしましょう。
さて、哀しみを背負うということはどういうことだろう。
哀しみを背負った人間のみが究極の奥義、無想転生を習得できるわけで、
この作品のテーマは「哀しみ」に集約していると言っても過言ではありません。
三男のジャギをはじめとしてケンシロウに倒される敵役たちの多くは、暴力的なだけで「哀しみ」を背負う能力も持ち合わせてはいません。
「哀しみ」:
それは酸いも甘いも、相手の人生を引き受ける覚悟なのかなと感じました。
この言葉はかなり類型的な物語の構造のなかで、それこそ頻繁につかわれるのですが、すりこまれるような強いインパクトを持っています。
しかし、今の自己チュー揃いの政治家たちには、「哀しみ」を、そしてこの国を背負う能力も気概もないのでしょう。(ジャギばかりの集まりだ)