長野
心屋

伊藤明美です

去年の紅白歌合戦で
私は欅坂46の平手友梨奈の
パフォーマンスを観て
身体中の毛穴が鳥肌が立ち
血液が逆流したのかと思うほど興奮し
動悸が自分に聴こえ、震え、泣いた


今まで
自分に蓋をしてきた感情の
蓋は吹っ飛び、私は嗚咽していた


まさに、彼女は
生命をかけて
後先など考えず
「僕」を生きていた

良く見せようとか
かっこいいとか
周りとの調和とか

全て吹き飛ばして
重力の渦を起こし
周りも巻き込み
狂気の沙汰の芸術的パフォーマンス


こんな風に生きる人がいるんだ
小さな損得勘定に一喜一憂して
周りの顔色を見て生きている
大人になった自分を
彼女は、ぶん殴る様だった


どんな人か知りたくなり
彼女の事をかいた諸先輩方の
愛あるブログを読みあさり
雑誌、DVD、CD、youtube
毎夜あれこれ調べ
大人買いして
ますます
彼女に興味を持った


一貫して、孤独な人に寄り添って
軸がぶれない人だった

その為に、自らを孤独な湾に沈め
鋭利な刃物の様に
ストイックに自分を律し
納得しないと心身共に
妥協出来ず表舞台に現れず


何故、1番
痛くて辛くて苦しい道を選ぶのだろう

沼にはまるどころか
渦を巻いて排水口に
吸い込まれていく感じがした

何故、こんなに
この人に惹かれてしまうのか

周りのメンバーからみれば
出来ない、ツアーに参加出来ない
センターは、困った存在だったかもしれない


だけど、私は
すごいと思った

良いパフォーマンスが出来ない
納得しないと出来ない
それが一番の平手友梨奈にとっての
最重要事項なのか

周りには、「問題」として
起こる事態を
メンバーに任せる

それは、確実にメンバーを育てた


以前は、覚悟を決めかねていた
メンバー達を
平手友梨奈がいないと
ダメだったメンバー達を
否が応でも
生命をかけるパフォーマンスが出来るように育った


センターが不在となる危機を
問題とするか
チャンスとするか


昨日、初日を迎えた
欅坂46の映画を観た


映画だから
切り貼りしているし
インタビューは、編集されている

撮影当時とは捉え方や
感じ方、考え方が変わったメンバーも
いるだろう

だいたい、当の平手友梨奈が
何も語っていない

モヤモヤした気持ちを抱え帰宅


大画面でのパフォーマンスは、大迫力
私は、ますます平手友梨奈が好きになり


平手友梨奈と出会えて、良かったと思った


アンチはいろいろ言うだろうが
わざわざ見に来て低評価を押す奴は
歪んだファンなんだろう


どう生きるか
平手友梨奈の生き方が私に問う

生きろ!と
みっともなくてもいい
不格好でもいい
不器用でもいい
引きこもってもいい
心を閉ざしてもいい

生きろ



と、言われた様な気がした


出来ない事が問題なのではない
大変な事態が問題なのではない

それを「問題」だと見る自分を
考えるチャンスという事だと思った