余計な心配はしないほうがいい。

 

誰でも分かっているであろう言葉だが、

なかなか難しいと感じているのもまたこの言葉ではないだろうか。

 

何事も心配はしないほうがいいのは分かっているのに、気付くと心配ばかりしている。

 

心配事を全て無くせば解決か?

とも思うこともあるかもしれない。

 

ところがどっこい、「心配をする」という習慣が付いている限り、どんなに周りの問題を解決したところで、

 

また新しい心配の種がやってきたり、酷い時にはわざわざ自分から作ったりする。

 

「心配をしない」という習慣を作れれば理想なのかもしれないが、

 

どうしてもできないと落胆してしまうくらいなら、

 

考え方を変えてみてはどうだろうか。

 

心配という字は、「心」を「配る」と書く。

 

大切なのは、一体何に、心を配るかだ。

 

心というのは、人生において最も重要な道具であり、エネルギーだ。

 

そんな大切なものを、自分は持っている。

さあ、何にそれを配りたいだろうか。

 

少し例えを変えよう。

もし、自分がとてもいい物を持っていて、それを誰かにプレゼントするとしたら、誰にしたいだろうか。

 

どんな人間でも、嫌いだと思っているやつにプレゼントをしたいと思うことはないだろう。

 

プレゼントをするなら、好きな人、大切な人、少なくとも、プレゼントを贈ることで自分もいい気持ちになるような相手だろう。

 

心も同じだ。

自分の気持ちが、善い方向に向かうようなものに心を配ろう。

 

そのためにはちゃんと、自分の心をチェックしなくてはいけない。

 

今、自分が考えているのは、心を配りたいと思う対象か、と。

 

今、不安に思っても仕方ないこと。

考えたところで状況は変わらないもの。

取り越し苦労。

 

そんなものにばかり心を配っていないか?

 

もし、どこかに旅行に行ったお土産なら、付き合いを考えて、特に何とも思っていない人にも渡さないといけないこともあるかもしれないが、

 

自分の心を何に配るかは、

100%自分で決められる。

誰かに相談する必要もなければ、報告する義務もない。自分だけの領分だ。

 

だったら、自分が全身で気分よくなれるようなものにだけ、心を配ったほうがいいに決まっているではないか。

 

さて、健全な付き合いの「心配」をしていこう。