心を落ち着けることを心掛けて生きていると、

 

確かにその効果は出てくる。

 

だけど、何も無いときは落ち着いていられるけど、何かあったときはこれまでのことを全部忘れて慌てふためくでは意味がない。

 

やはり、大切なのは何が起きても、何も起きていないときと同じ心持ちでいられるかだ。

 

そういう意味では失敗とは貴重な体験である。

 

だれも、あえて失敗してやろうと思って失敗している人はいない。

 

やりたくなくてもやってしまうのが失敗である。

 

これまでは、失敗をしたら

自分を責めていた。

 

何て自分はダメなんだ。

どうして、あんなことも気付かなかったんだ。

きっと、失望された。

もうダメかもしれない。

 

失敗とは自分を責めて、無力感に浸るためのものではない。

 

ああ、自分の中にまだ至らないところがあって、それを教えてくれたんだな。

 

と、考えるためのものなのだろう。

 

教えてくれた誰かとは、神でも仏でも宇宙の意志でも何でもいい。

 

とにかく、目に見えない、耳にも聞こえない何かだと思っておけばいいと思う。

 

自分を成長させようとしてくれている、自分はまだ成長できると言ってくれている何かがあると思えば、

 

失敗に対する考えも少しは前向きになるのではないだろうか。

 

全ては心一つの置き所である。

ならば、失敗に対する考え方も、自分を進歩させるものとして捉えたほうが、気分もいいではないか。