学生から社会人まで、老若男女問わず共通で抱えている問題はいろいろあると思うが、
中でも人間関係はその最たるものではないだろうか。
好きな人、嫌いな人、嫌いとまではいかないけど苦手な人、特に何も思わない人。
たぶん、全ての人は無意識のうちに、身の回りにいる人を自然とカテゴリ分けしているはずだ。
これは人間というよりも、生物として生きていく中での本能みたいなものだと思う。
自分にとって、安全な相手か危険な相手かを測るのは生存本能として当たり前だ。
だけど、石器で獲物を追い掛け回していた時代の名残だと思う。
警察も消防も無いんだから、敵か味方かの判断を誤れば、即座に死に直結するようなときにはしかたない。
だけど、現代は違う。
命の危険に及ぶような敵が自分の前に現れることはそうそうある話ではない。
だから、人を判断する機能は、そのまま本能に任せるのではなく、しっかり管理しないといけない。
誰かのことを苦手だな、嫌いだな、怖いな、と感じたら、
それは、相手に原因があるかもしれないけれど、その苦手だの嫌いだの、怖いだのという感情は自分で決めている。
決して、相手が決めていることではないのだ。
だから、もし誰かのことが自分の気に障ることがあったら、一度冷静になってみてほしい。
この人のことを苦手だとか、怖いとか思っているけど、それは本当なのか?と
顔が怖いとは思うけど、それはこの人の生まれつきだろうし、
言葉に棘があるように思うのも、結局は自分がそう思っているだけだ。言葉自体は単なる音なんだし、
自分に当たりが強いように感じるのも、感じてるのはこっちだ。今度ちょっと避けてやるのはどうだろう。
みたいに、相手に対して自分がどう感じるかは全てこっちに決定権があるのだ。
相手が脅威なのではない。脅威だと思っている自分がいるだけだ。