空想というのは、心の中で絵を描くことだ。

 

しばらく日常から非日常の世界に飛び込むことでもある。

 

創作では、いかにその世界に深く飛び込めるかが大切なことの一つだと思う。

 

空想の世界、自分で創ろうとしている世界の住人の一人になることで、もう一つの現実としてその世界を構築していく。

 

つまり、「なりきる」ということだ。

 

この「なりきる」という行為はなかなかバカにできないものだと思っている。

 

自分はこういう性格で、これが好みだ。

あいつはああいう人間だ。

世の中は、社会は、人生とは、こういうものだ。

 

僕たちは何となく自分や他人、その他のあらゆるものに、イメージを勝手に押し付けている。

 

その中でも、自分自身に対するイメージは強力だ。

 

それが良い方向に向かえばいいが、多くの人は自分自身のいいところを思うよりも、悪いところを思ってしまう回数の方が多いのではないのだろうか。

 

そうなると、「なりきって」しまうことにならないだろうか。

 

自分はこういう人間だと思い、それに沿うように生きていないだろうか。

 

まさに、人の体は食べた物でできて、人の心は思ったことでできているのである。

 

だから、一日の内、ほんの少しの時間でいいので、

 

自分の考える、「理想の自分」になりきってみてはどうだろうか。

 

もし、どんなことが起ころうとも動揺したりせず、やるべきことを迷わずに行うことができる自分が、理想だとしたら、

 

自分は今、もう既にそういう人間なんだ。

なんなら、世界で一番、自分以上に優れた人間はいないんだ、という気持ちに本気になってみたらどうだろう?

 

どんな大ウソでもいい。その時間だけはなりきるのだ。

 

最初は、いやいや、そんなわけないじゃん。

 

と、否定する気持ちの方が強くて、思わず恥ずかしくなってしまうだろう。

 

でも、一日のうち、数秒でもできれば最初はいいではないか。

 

最初は数秒でも、続ければそれが、1分になり、5分になり、10分になり、1時間になっていくだろう。

 

せっかくの人生だ。気持ちのいい方になりきったほうが楽しいはずだ。

 

理想の姿とは、長い道を行った先、高い山を登った先にあるのではない。

 

今、ここでなっていいものなのだ。