今、あなたはどのような状態にあるだろうか。

 

昔願った通りになっているだろうか?

それとも、そうはなっていないだろうか?

 

あの時、ああしたから今の自分があるのだ。

とか、

あの時、ああしていれば・・・

とか、

 

そんな風にふと過去を考えることもあるだろう。

 

それが自分にとって良い過去なら、それでいいのだが、

 

何であんなことをしてしまったのか、と自分を責めてしまうこともある。

 

自分は間違った選択をしたのだと、悩んでしまうこともあるが、

 

それは、悩んでも仕方ないことだ。

 

なぜなら、そうなるしかなかったからだ。

 

過去、二つの選択肢があって、そのうちの一つを選んだ・・・

 

と、考えているかもしれないが、

 

実は選んでいない。

 

悩みはしたかもしれない。迷いはしたかもしれないが、

 

結局どちらを選ぶかは、もう最初から決まっていたのだ。

 

もう一つの選択をするなんてありえないことなのだ。

 

実は、全てのことはもう決まっていると考えることもできる。

 

今日雨が降ったとしたら、それは昨日の雲や風の流れが関係している。

 

昨日の雲や風の流れは一昨日の、一昨日のそれは3日前の・・・というふうに全ては繋がっている。

 

極端なことを言えば、46億年前に地球が誕生したときから、今日雨が降るのは決まっていたと言える。

 

人生における選択もそうだ。

 

目の前に二つの、もしくは複数の道があるように見えたかもしれない。

 

そして、その中の一つをあなたは選んだ。

それは、それ以外選びようがない選択なのだ。

実質一択である。

 

なぜなら、その選択をするしかないような準備がずっと前から続いて来たからだ。

 

満員電車にお年寄りが乗ってきたとき、

 

迷わずすぐに席を譲れる人と、

迷った挙句、勇気を出して譲れる人と、

迷った挙句、譲れない人と、

最初っから譲る気のない人がいる。

 

そこにはいろいろな感情がある。

思いやりの精神、恥ずかしいという気持ち、無関心などなど。

 

そのような気持ちがその人に生まれるのは、それまでの、その人の人生に関係している。

 

親や友人、学校の教師から与えられた影響。

読んだ本や、見たテレビ番組から得た影響。

 

様々ある。さらに深掘りすれば、

その人に影響を与えた親や友人、教師は何から影響を受けたのか。

なぜそのとき、その本を読んだのか、そのテレビ番組を見たのか。

 

全ては繋がり、一つも無駄なことはなく、完璧な結果となって、その行動を導いているのだ。

 

だから、自分の前に選択肢みたいなものが現れたとしても、迷うか迷わないかも最初から決まっているし、何を選ぶのかも最初から決まっているのだ。

 

だから、過去の自分の判断について、あの時ああしていればと考えても実は意味は無い。

なぜなら、その道しか選べなかったからだ。

 

こう考えると、多少は過去に対する考えが軽くなるのではないだろうか。

 

そして同時に、未来に対しても気軽に考えることができるのではないだろうか。

 

あなたは、この話を聞いてどう思っただろうか?

たぶん、それも既に決まっている。