幸せというものは多くの人が知らず知らずのうちに追い求めているものだ。
それが、産まれてきた目的のように。
人によって幸せの形はいろいろあると思う。
お金かもしれない。
健康かもしれない。
愛かもしれない。
成功かもしれない。
いろいろあると、そう思っていたが、
実のところ、結局幸せというのは一つしかないのではないだろうか。
それは、今この瞬間、何の心配もなく安心できること。
結局はそれだけなのではないか?
その安心を得るための条件として、人はお金やら、その他何やらを求めているのかもしれない。
自分は大丈夫だと思いたい。
これが全てなのかもしれない。
だとしたら、実は人はもうゴールにいるのではないか。
今まで幸せとは、高い山の頂上に行かないと無いもののように思っていたけど、
実は、今立っている平地にあるではないか。
自分は大丈夫だと、心から安心したいのであれば、
今、安心すればいい。
お金とか健康とか、愛とか成功とか、条件なしで、安心することを選択すればいいだけなのだ。
でも、それができれば苦労はしないと、すぐに頭の中で声が聞こえる。
だけど、条件付きの幸せは案外脆いのも事実だ。
お金や健康が幸せの条件だと、それを失ったら幸せでなくなってしまうし、
仮に今はそれがあっても、将来無くなるのではないかという不安は常に付きまとう。
条件なし、何の根拠も無い、自分は大丈夫だという、ただそれだけの自信が持てたら、まさに最強だ。
それを持つにはどうしたらいいか。
まずは信じるしかないのだろう。
自分はただそれだけの価値があると信じる。
それしかない。
いろいろな物語、ジャンルを問わず、登場する人物たちが魅力的に見えるのは、何か、自分自身を象徴する信念のようなものを持っているからだ。
これを持っていると、そのキャラクターが正義側だろうが悪側だろうが魅力的に見える。
僕たちは何の条件も無しに、ただ自分というだけで、自信を持っていいのだ。
高い山を見上げるのもいいが、たまには自分が立っている地面の感触を感じて、今この瞬間に安心しよう。