ああならなくてはいけない。

こうするべきだ。

そうしないとダメだ。

 

いつの間にか、自分の中に根を張ってしまった物語の数々。

 

産まれたときには確かに持っていなかったはずなので、それはどこかで拾ったか、仕入れてきたかしたはずだ。

 

間違いなく、それらの物語を自分の一部として採用したのは自分自身だ。

 

親や教師から言われたことかもしれないが、それでもそれを自分の中に入れて保存することを決めたのは自分である。

 

最初から持っていなかったもののはずなのに、いつの間にやら最初から持っていたかのように思い込んでしまっている。

 

それらの物語が自分を喜ばせてくれているのならいいが、もし苦しめているようならば捨てなければならないのではないか。

 

でも、そういう物語に限って捨てるのが怖い。

 

そんなことしたら大変なことになる。

 

その恐怖は大きいものだ。

 

本当は進みたい方向があるのに、そっちに向かって足が一歩も動かないこともあるだろう。

 

何もできないような、無力感に襲われて、ますます心の中に暗い影を生んでしまう。

 

そしてそれによって、また動けなくなってしまう。

 

悪循環が続いてしまう。

 

苦しいだろう。気持ちは分かる。僕もそうだ。

 

だけど、それでも一歩も動けなくても、できることはある。

 

今この瞬間に笑うかどうか選べることだ。

 

今、こんな状態だから笑うことなんてできない。

と、思っているかもしれないが、

 

笑うことが「できない」のではなく、

こんな状態だから笑わないことを「選んでいる」のだ。

 

ちょっと無理やりでも口角を上げて、笑っている顔を作ってみよう。

 

近くに鏡があれば、それに向かって笑うといい。

 

バカバカしいと思うかもしれない。それでいいと思う。

 

笑った顔でバカバカしいと思えれば上等じゃないか?

 

意識の深い所では、表面上の意識は判断できないと聞いたことがある。

つまり、ウソでも笑っていれば、理性ではそれがウソだと分かっていても、心の奥底では笑っていることとして受け取るそうだ。

 

ちょっと強がりでもいいから笑顔を作ろう。

ちょっとでも心が軽くなれば、軽くなった分体は動きやすくなる。

 

気楽に行こう。