まさかこんな所に集落があるなんて。
彼が最初に抱いた感想はそれだった。
噂だけを頼りに、県と県の境にある、最後に整備されたのはいつだろうかと思わせるようなガタガタのアスファルトの、辛うじて獣道とは呼ばれない程度の道路を進んで行った先にその集落はあった。
彼、坂田はアニメ制作を指揮するプロデューサーだった。新作の構想のために全国各地を巡っている。
2100年、日本は相変わらずアニメという分野では他国の追随を許してはいない。
だが長く続いてきた歴史は所々に歪も生んでいた。
アニメを成功させる方法の一つとして、地域とのタイアップがある。その地域の風景や建物を忠実にストーリーの舞台として再現することで、ファンがその現地に足を運び、現地の産業にお金を落とす。
現実と非現実をクロスさせることでより楽しみを増加させる手法。
しかし、長い間使われてきたこのやり方により、今は日本国内でアニメの舞台になっていない地域は無いというところまで来ていた。
坂田はまだアニメ化されていない地域を探すためにいろいろな情報を頼りに各地を巡っている。その中でこの集落に辿り着いたのだ。
「すごいですね。こんな場所がまだこの国に残っていたなんて」
隣を歩くこの集落の長老と呼ばれるおじいさんに坂田は気さくに話しかける。
長老なんて呼ばれる存在が現代にいるだけで彼は軽く興奮を覚えていた。
それだけではない。集落の中にある民家の全てがもう100年以上昔の、坂田も教科書の中でしか見たことない、いわゆる昭和風の風景だった。
「まるでタイムスリップしたかのようですよ、あ!失礼!別に悪く言ったつもりではないんです。ところで、この村には特産品とかはあるんですか?」
「ん?いや、そういうのは特にないが、そうじゃなあ、言い伝えはいくつもあるかのう」
「た、例えば・・・」
「あー、500年ほど前に大蛇の化け物がいての、そいつを村に立ち寄った巫女とお供の犬が倒した伝説とか・・・」
「お、おお!」
「その大蛇を封じた祠があったのじゃが、300年ほど前に壊されての、呪いが村中にまき散らされて滅ぶ寸前までいったとか・・・」
「おおっ!!」
「その祠は今もまだ残っておるんじゃよ」
「おおおおッ!!」
そこから、長老がいくつもの伝説、言い伝え、村に古くから伝わる風習、妖怪、道具などなど、まるでアイデアの宝物庫がそこに現れたかのように話をしてくれた。
坂田は興奮の絶頂にいた。彼の中ではいくつもの物語の卵が産まれつつある。絶対にこの村を舞台にしたい。きっと良いアニメができるはずだ。
それは突拍子もない話だけではない。この村そのものが持っている雰囲気、初めて来たはずなのにどこか懐かしい、不思議と落ち着く感じ。その空気を坂田は強く感じていたからだ。
その後時間を忘れる程話した二人。いつの間にか日が傾き、太陽が山の向こうへと顔を隠そうとしていた。
「ああ、すいません。随分と長い話をしてしまって」
「ええよ。久しぶりに儂も楽しかったよ」
坂田は急いで自分の車の方へと向かう。何せこの村には宿泊施設などない。ここまで来た道を日が沈んでから戻るのは正直怖かった。
少し離れた所から振り返り、
「ありがとうございました。明日改めてここの取材をさせてもらっていいですか?」
「・・・・・」
坂田の声が聞こえなかったのか、長老はにこやかに笑顔を向けたままだった。
坂田は再度頭を下げてから、長老の前から去った。
車に戻りドアを閉める。一人の空間。まだ彼の興奮は冷め切っていない。ホテルに戻ったら今日のことをすぐにノートにまとめる気が満々であった。
エンジンを掛け、来た道を戻る。
暗くなってきた道に注意を払ったことで少し冷静になったのか、彼の頭の中に小さな疑問が湧いてきた。
(それにして、確かに目立たない村とは言え、今の今まで何で誰も見つけられなかったんだろう。それなりに人は住んでそうだったのに・・・)
それは本当に一瞬だった。彼の頭の中に何か光のようなものが走ったのを彼は確かに感じた。だが、痛みもかゆみも無い。
(ん?何だ今の?)
少し不思議に思ったが、夕暮れの道は一番危険なことを知っているので彼はすぐに運転へと気を向けた。
「あ~あ、それにしても空振りとはなあ。一日中走り回って収穫ゼロなんてやってらんないよ。もうアニメの舞台にできそうな所なんてこの国には無いのかなあ」
愚痴が思わず声となって出てくる。その言葉に彼は一欠けらも疑問を持っていなかった。

太陽が山の向こうに隠れる。村の地面はすっかり暗くなっているが、空の上はまだオレンジ色に照らされていた。
「すまんのう、お若いの。ここに住んでる者は皆、静かに暮らしたいんでの」
杖を付きながら、長老は自分の家へと帰っていく。ただ静かに何も変わらない日常がそこにはあった。