世界は混乱の極みに陥っていた。
いや、それでもまだ最悪では無いのかもしれない。
ひびだらけかもしれないが、まだ崩壊はしていないのだから。
その崩壊を食い止めている理由には、一人の男の功労があった。
エスカテル国大統領、リモンド・グ・テエロの存在である。
彼がバラバラになりそうな世界を、その手腕で何とか繫ぎとめていた。
そしてその間に、周りの優秀な者たちが交渉で事態を進め、この度平和への道筋が開けようとしていた。
このまま行けば、世界中で悲鳴と血の雨が振らずに済む、政府上層部はほっと胸を撫でおろしていたその矢先に事件は起こった。
神はとんでもないタイミングで人間に試練を与えてきた。
テエロ大統領の突然死である。
原因はここで詳細に語る必要はない。大切なのは彼が死んだという事実だからだ。
ここまで世界の崩壊を食い止めていた鎖が突如ちぎれ飛んだ。
だが不幸中の幸いか、大統領が死んだことはまだ一部の政府関係者しか知らない。
何とかしなければ、事が事だけに政治や経済、軍事の専門家を大勢呼んで、話し合うことはできなかった。
情報の共有は最小限に、それでいて大統領が死んだことが世界に知られることなく、少なくとも和平への道筋が完全に出来上がるまではバレずに通せる方法を考え出さなくてはならない。その期間、最低でも半年。
不可能。それが政府が出した結論であった。
だが、神は勝手に試練を与えておきながら、勝手に救いの手を差し伸べる。もしかしたら神とは生粋のエンターテイナーなのかもしれない。
大統領が飼っていた猫、その名をマイコ。
彼女に大統領の霊が乗り移ったのだ。
何でも、死んでも死にきれんと、あっちの世界から無理やり戻ってきたらしい。
だが、人間の言葉を喋る猫を政治の場に出すわけにはいかない。完全に研究対象として実験室送りだ。
しかし、猫とは言え大統領ではある。彼の思考がここにあることは間違いない。
そこで大統領(猫)と政府特別チームは大統領の完全再現に着手した。
まずは見た目、これにはテエロ大統領の影武者が選ばれた。彼の名前はジョイス。
ジョイスは影武者であるので、当然世間にはそのことが知られていない。体格も顔もそっくりで、大統領秘書でさえ見た目だけでは判断が難しいほどだ。
だが、それは見た目だけの話だった。
声がまったく違うのである。
そこで次に向かったのは、刑務所だった。
そこには、世界を股に掛けた詐欺師がいた。
彼の名はライ。この名前も本名なのかどうか未だに判明していない。当局が把握している、彼が今までにだまし取った金額すら本当かどうか疑わしい。噂ではその十数倍の隠し財産があるとか。
当然彼も世間的には投獄中のため、表の世界にいるとは思われていない。
そんな彼の特技は、当然騙すためのあらゆるテクニックだ。その中に声帯模写がある。
七色の声色どころではない。まさに変幻自在、誰の声も彼は真似することができた。声質だけではない、声の大きさ、呼吸のタイミング、その演技力は一流の俳優にも劣らなかった。
彼に今回の事情を話し、協力を仰いだところ、意外な程にあっさり受け入れてくれた。
何でも、彼にとっては騙すという行為そのものに価値があるらしく、今回の件は最高に心をくすぐったらしい。
こうして、大統領の体(影武者)、大統領の声(詐欺師)、大統領の心(猫)が揃った。
世界の平和のために、世界を騙すミッションの幕が上がる。