ここに来たのは間違いだったかもしれない。
私はその部屋に入った瞬間にそう思った。
窓の無い部屋。いや、正確には本棚で窓が隠されてしまっているんだ。
そして床にはガラクタなのか何か分からない物が散乱している。嫌な匂いがしないのは唯一の救いだ。
この怪しさ満載の部屋の主は今、座椅子に座って私に背を向けている。主の正面ではPCのモニターが光を放っていた。
「んで?私に依頼ってのは?」
座椅子の向こうから声だけが届く。声の感じからして、私と同じくらいの歳の女の子みたいだ。
「あ、え、えっと、とある事件のことなんですが・・・」
そう、私の目的はこれだ。突然失踪した私の兄のこと。警察も事件性はないと匙を投げるが、私の直感は言っている。兄は事件に巻き込まれたのだと。
だけど、警察もお手上げのものを私みたいな一介の女子高生に何かできるわけも無く、何か情報は無いかとネットの海をさまよっていたところで見つけたのがここ。
安楽椅子探偵。自分は直接外に出ることなく、外部から得た情報だけをもとに事件の真相に近づいていくという、お話の中でしか聞いたことの無い存在。
それが、今私の目の前にいる彼女、らしい。
そして彼女はこれまでに色々な事件を解決してきた、らしい。
「そ、それで、あなたに調査してほしいことというのが―――」
「ちょっと待って」
私が話し始めようとしたところを突然彼女が遮った。
その後すぐ、座椅子から右手が生えるように出てくると、その手が空中に円を描いた。
何をしているのか全く分からなかったが、直後起こったことは、私をさらなる混乱へと陥れた。
彼女が手で描いた円の内側がオレンジ色に発光したかと思うと、円の向こう側にこの部屋とは違う景色が映し出された。それはまるで窓を開けたかのように、別の空間へと繋がったような感覚だった。
「はーい、リョウコー」
円の中からいきなり女性の声が飛び込んできた。
「おー、その後どうだった?」
「あなたの言った通りよ。現場の近くで、ドラゴンの鱗が発見されたわ」
「やっぱりね。そうでないとおかしい。じゃあ引き続き、この前言った件よろしくー」
「分かったわ」
彼女は一通りの会話を終えると再び右手で円を描く。すると窓のようなものは閉じ、さっきまでの部屋の風景が戻ってきた。
「・・・い、今のは・・・」
「ん、異世界」
恐る恐る聞いた私に彼女、リョウコはさらっと答えた。
「異世界?」
「そ。聞いたことない?ここじゃない世界のこと」
いや、マンガとかで聞いたことはあるけど、そんなさも当たり前のように話されても。
「別によそでしゃべってもいいよ。病院紹介されるのがオチだろうけど」
「あ、あなたはいったい・・・」
安楽椅子探偵ってだけでもかなり怪しいけど、私にはもうここしかすがれる所がないって思ってやってきたけど、思った以上にヤバい人なのかもしれない。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼女は淡々と自分のことを話し始めた。
「あたしはね、この世界と別の世界をつなげることができるの。さっきのはその中の一つ。異世界って想像以上にたくさんあるんだよ」
彼女は説明を続ける。
魔法のある世界、獣の人がいる世界、それこそ物語でしか聞いたことのないような世界が無数に存在すること。そしてリョウコさんは、それらの世界で起こる事件を、この部屋の中から解決に導いている探偵なのだということ。
「正直、こっちの世界の事件は飽きちゃってさ。異世界のほうがまだアタシの知らない謎が多くておもしろいんだよ」
「じゃ、じゃあ、私の依頼は・・・」
これだけ訳の分からないスケールのことをやっている人に、私みたいなただ身内を探してほしいなんて願いは小さすぎるのかもしれない。
希望の糸が切れたかのように思えた。だが、
「いいよ。やったげる」
あまりにもあっさりとした返事。その軽さに、私は逆にリョウコさんの言葉の意味が掴めずにいた。
「何その顔。依頼しに来たんでしょ。やってあげるって言ってんのよ」
この時初めて、座椅子の向こうから私の方へ彼女が顔を向けた。
その少しムスッとした顔は、こんな部屋で過ごしているとは思えないほど可愛らしく、そのギャップが、同じ女の私でも少しドキッとするくらいだった。
とにかく、依頼を受けてくれることに私の心は再び希望で一杯になった。
「ありがとうございます!あ、でも私、まだ高校生だから、その、お礼と言うか、お金あまり持ってなくて、でも!必ず払いますから―――」
「ああ、お金はいい」
またしてもあっさりした返事に私は一瞬思考が止まってしまう。でもリョウコさんは構わずに言葉を続けた。
「お金はいいから。その代わり、あんたにはアタシの助手になってもらう」
ジョシュ?突然出てきた単語は私の中で理解を得るのに数秒の時間を要した。
「あの、えっと助手っていうのは、あなたを手伝うってことですか?」
「その通りよ」
「何で私が・・・」
そこでリョウコさんはニヤリと笑う。ようやく聞きたかった質問が来た、という感じだ。
「あなた、ここのことネットで知ったのよね?」
「は、はい」
「うちのホームページはね、リリストルっていう異世界の魔法がちょっと組み込まれてるの。普通の人間じゃアタシの部屋を訪れることもできない」
「・・・・・」
私は返事もできず、ただ黙って聞くことしかできなかった。
「それとあんた、さっきアタシとグラムの会話聞いてたわよね」
たぶん、あの円形の窓越しに話していた女性のことだろう。
「は、はい。何かドラゴンの鱗がどうのこうのって・・・」
私がそう言うと、彼女はまた不敵な笑みをこぼした。
「本来、この世界と別の世界は使っている言語が違う。なのにあんたは何の準備もなく普通に理解ができる。いいわよあんた」
妙にテンションが高くなる彼女に正直私の心は置いてきぼりをくらっていた。
「あの、それで助手というのは、何をするのでしょうか?」
置いて行かれそうになる心を何とか必死に食らいつかせようと私は質問を投げていた。
「それは簡単。あんたには異世界に行ってもらって情報を集めてもらう」
「・・・は?」
「アタシはね、この世界と異世界をつなげる窓を開くことはできるけど、向こうへは行けないの。でもどうやらあんたは異世界間を移動できる素質があるみたいだ。理由は分かんないけど、正直今はどうでもいい」
え?異世界に?私が?行く?
「あんたの事件をアタシが解き明かす。あんたはアタシのために情報を集めてくる。ウィンウィンよね。じゃあさっそくだけど行ってもらいたい場所があるの。よろしくね、助手ちゃん」
こうして私は何の心の準備も許されないまま、この不思議で奇妙な安楽椅子探偵の助手としての生活をスタートさせたのだった。