未来は誰にも分からない。人生は常にお先真っ暗という人もいる。
だが真っ暗かどうかも分からない状況に彼はいた。
「あの、それでお話ってなんですか?」
その青年、サクは目の前の人物に尋ねる。
普通のファミレスの普通のテーブルの真向いに座っている普通ではない女に。
その女はまず雰囲気が何か違う。サクは直観的に感じていた。自分よりずっと年上に見える気もするし、同年代にも見えるし、時に少女のようなあどけない感じもする。要するに怪しいだ。
最初に出されたお冷に口はつけず、その冷たさだけを楽しむように手に持って女は口を開いた。
「何、大したことではないよ。単刀直入に言うと君をスカウトしようと思っている」
突然出てきたスカウトという言葉にただサクは驚いた。
何を言っているのだ?先ほど街中で声を掛けてきたこの女がスカウトマン?いや、女だからスカウトレディか?
今までの人生で特に容姿をいいとも悪いとも言われたことの無いサクにとって、モデルや芸能人のスカウトとは到底思えなかった。
「言ってることがさっぱり分かりませんが・・・」
「そうだろうね。じゃあ順を追って話そう」
彼女は口元に微笑みを浮かべて話し始める。最初からずっとこの表情だ。
「私はとある会社の社長でね。と言ってもしがない小さな事務所さ。従業員も10人もいない」
「はあ・・・」
サクはただ相槌を打つだけで精一杯だ。何も話が見えてこない。
「まあ、そう焦りなさんな」
「ッッ!!」
まるで心の中を見透かされているように女は微笑む。
「私がやってる仕事はね、ま、半分は趣味みたいなものだが・・・」
そこで女は一息置いてから次の言葉を紡いだ。
「・・・犯罪者の調査さ。それもまだ警察に捕まっていない、ね」
サクの背筋が突然氷が走ったように震えた。そしてまた心の中を見透かしているかのように女は彼にとって決定的な言葉を放った。
「・・・君、何か罪を犯したね?」
その声に反射的に席を立とうとしたサクを女は手で軽く制した。
「慌てなくてもいい。何も君を警察に突き出そうなんて思っていない」
「な、なんでそんなことが分かるんですか?」
「ふふ、その質問はほとんど自白してるようなものだよ。まあいい、私が君をそう思ったのは、まあ直観が第一。あとは簡単な推理さ。
まず暖かくなってきたとは言え、まだ肌寒いこの時期にほとんど部屋着のような恰好。そして君は随分と疲れて見えた」
サクは女の言葉を聞きながらその場から逃げることすらできないでいた。
「おそらく君はプライベートな空間で何かをした。そして君は根っからの悪人ではない。普通の人間だ。だから動揺して着の身着のまま、大して金も持たずに飛び出してきた。そうだろう?」
一分の反論もできなかった。
「だから、こうしてファミレスに誘ったわけだよ。普段だったら悪質なキャッチセールスか宗教の勧誘とかを疑って無視していただろうが、君はついてきた」
これもまた一厘の反論もできなかった。しかし疑問は残っていた。
「で、それとスカウトとやらは何の関係があるんですか?俺の弱みを握って何か汚い仕事でもさせるんですか?」
その時、突然女がカラカラと笑い出した。まるでサクがギャグか何かを言ってしまったかのように。ただ、その笑顔は妖しさからはかけ離れたもので本当に面白がっているようだ。
「アハハ、ないないそんなこと。でも、まあそう思うか」
女は軽く目尻を指で払うと話を続けた。
「さっきも言ったように私は未逮捕の犯罪者を調べている。で、ちょっと遠出する必要があってね、助手を探していたところなんだ。事務所の連中は他の仕事で手一杯でね」
「でも、何でそれが俺なんですか?」
「単純な理由さ。君が美しいと思ったから」
「は?」
何を言っているんだ?先ほどからこの女の言っていることが全く掴めない。サクは自分が今やどんな立ち位置にいるのかさえあやふやな気持ちだった。
「ちなみに、私の事務所のスタッフも全員未逮捕の犯罪者だよ」
さらっと補足事項のように、女は情報を追加した。
「何・・・考えてるんですか?」
「罪というのはおもしろい。一つとして同じものがない。持って生まれた才能、教育によって植え付けられた価値観、周りの人間関係。軽犯罪でも重い罪悪感を背負う者もいれば、重犯罪でも笑うやつもいる。ただ・・・」
女はそこで一度目を伏せると、改めてサクを正面から見据えた。
「どれも人間の一番奥深くの何かが突き動かした行動ということ。それを長い歴史が勝手に悪と決めつけただけ。私はね、正義なんてものより、余程人間の本質に近いところにあると信じているんだ」
なぜか何もサクは言い返せなかった。彼女の周りにいるのは犯罪者で、彼女はそれを匿っている。つまり彼女もれっきとした犯罪者のはずなのに。
「さてここで仕事のお話。私のところに来れば決して君を警察には渡さない。どんな手を使っても守ってあげる。君の犯した罪の話は、君が話したくなった時でいい」
「ご注文はお決まりになりましたか?」
突然入ってきた別の声にサクは驚いた。危うく椅子から落ちるかと思ったほどに。
そうだったここはファミレスだった。すっかり目の前の女の世界に引きずり込まれていた。息をするのすら忘れていたのではないだろうか?
ウェイトレスが慌てているサクを不思議そうに見ている。先ほどの話は聞かれてはいないようだ。
「まずは腹ごしらえだね。好きなものを注文うするといい。その後返事を聞かせてね」
サクはただメニューを掴んで眺めていた。それが現実と非現実を繋ぐ唯一のロープであるかのように。