適材適所。どんな力も技も、そこに優劣はなく、ぴったりと当てはまる場所があるというだけ。F1マシンはサーキットでは無類のスピードを出すかもしれないが、道が入り組んだ住宅街では役立たずだろう。
そしてそれは魔法も同じだった。
「お疲れ様、サシャちゃん」
白髪混じりで口ひげをたくわえた男が、コーヒーの入ったカップを片手に少女に話しかける。
「あ、お疲れ様です。オーナー」
ウェーブが掛かった銀髪のこの少女は笑顔でカップを受け取る。彼女の座っている椅子の前の机には小さな看板が置かれていた。
『忘れさせ屋』
ここは街の映画館。もう50年の歴史を持つ古い施設で至る所にリフォームの手が入っているが外観は可能な限り当時の雰囲気を残している。
「毎度思うけど、サシャちゃんの腕ならこんなとこよりもっと大きな映画館の方が稼げないかい?」
「いえ、私の力じゃ大勢の人の相手はできませんし、それにこの映画館の雰囲気が好きなんです」
それは、彼女の嘘偽りない言葉だった。この映画館が好きなことも、自分の力が未熟なことも。
彼女の持っている魔法は、記憶操作系。
他人の記憶を操って、その人が持っていない記憶を植え付けたり、逆に消去したりと使い方によってはかなり危険な魔法だ。
しかし、彼女は記憶操作系魔法の使い手としてはかなりお粗末な出来だった。
「そんなに謙遜することはない。君の力は大したものだ。少なくとも魔法を私利私欲のためでなく、誰かのために使おうと思っているだけでも立派なものだよ」
「これしか思いつかなかっただけですけどね」
彼女は力が小さいながらも、人の役に立とうと考えた。最初はつらいことがあった人の記憶を消すことでその傷を少しでも和らげてあげようとした。
しかし、彼女が使える記憶操作系魔法は記憶の消去だけ。それも直近2時間程度の、特に印象的な記憶だけ。それだけ人を救うにはあまりにも拙い力だった。
自分の無力さに打ちひしがれた彼女だったが、人の役に立ちたいという想いだけは捨てなった。
その想いが彼女に一つのひらめきを与えた。
つらい記憶を消すのではなく、楽しい記憶を消せばいい。
人は感動的な体験をした時、もう一度それを味わいたいと思う。体験を重ねることで感動が深まることもあるが、一番最初の一番新鮮な感動が強力なのも確かだ。
そこで彼女が始めたのが、物語の記憶を消すこと。
泣けた映画、興奮した映画、怖かった映画、それら感動した映画をもう一度完全にネタバレ等をリセットして楽しめるようにするための、忘れさせ屋というわけだ。
「君が自分のことをどう思おうと、私は君がここに来てくれて本当に有難いと思っているよ。と、上映が終わったようだ」
スクリーンのある部屋の扉が開き、中からお客さんが出てくる。今回は数年ぶりに新作が公開されたシリーズものの映画の上映だった。お客さんの何人かはハンカチを手に持っている。
この中に同じ気持ちをもう一度感じたいと思っている人が何人いるのかは分からないが、
彼女は今ここで、自分がぴったりと当てはまっていることはしっかりと感じていた。