来てくれてありがとう

時計の針は24時にさしかかろうとしていた。もうすぐ日が変わる。

年賀状を書く手を止め、眠りに入る準備をする事にした。

数時間前、心臓の薬を飲んだセラの息づかいが少し荒い。後でマッサージをしよう。

少しは楽になるはず。



「ココ!」セラの相棒ココットの名を呼び、最後のオシッコに出す。

パジャマに着替え、歯を磨いた。セラのマッサージをして寝よう。時計の針は24時20分。



さっきまで荒かったセラの息づかいが聞こえない。心臓が落ち着いたか?

心臓に手をあてた。温かい。そして鼓動も感じる。……感じる?

違う……。自分の鼓動が手のひらに響いているんだ。

「セラ」呼びかけ抱き上げた。首が力なくだらんとうなだれた。

セラは旅立った。



妻が妊娠したあたりから、セラとは一緒に寝なくなっていた。

セラ、今日は久々一緒に寝よう。

やせ細ってしまった身体をカゴの中で折りたたみ、目を閉じている。

妻が用意したハーブ草に包まれ、幸せそうな寝顔だ。



あっという間の短い夜が明けた。




真っ青に広がった雲1つない空。こんな日を選ぶなんてセラらしい。

寂しさと悲しさが、気持ちのいい空と溶けあって、なんとも不思議な感覚。

セラ、残される家族を想ってくれてるのか。ピクニック日和のいい天気。

セラ、おまえはおバカキャラだったから、湿った空気は嫌いだろう。

セラ、だからこの日を選んだんだろう?



助手席には、セラではないセラが。ハーブの爽やかな香りが車中に広がる。

口角が上がり、ニコッと笑っている。

セラ、疲れたろう。やっと楽になれたな。僕たちとの12年間は楽しかったか?

時おり触れては、心でささやいた。セラはまだ少し温かい。



合掌をし、セラは火葬炉の中に運ばれていく。

それまで涙1つなく、何のことだか理解できていなかった3歳の娘が突然騒いだ。


「セラ!いやっ!セラは?セラはどこ行くの?セラ!セラ!」


お骨になるまでの時間も、娘は泣き出し何度も僕たちに聞いてきた。

「セラは!?セラはどこ行ったの!?」

僕と妻「セラは天国に行って、今は神様と遊んでいるよ。いっぱい走っているよ」

娘「お腹痛くない?」

僕と妻「もう痛くないよ」



そう、もう痛くないよなセラ。

今は走っても走っても走り足りない、あの頃みたいに走っているだろう。

もう痒くもないだろう。

あんなに痩せてしまったのに、立てなかったのは最後の1日だけ。

ギリギリまで食事も残さず食べていた。心配させないように無理して食べたかセラ?

それとも、やはり最期の最期まで喰い意地張っていたか?

もっと心配かけてくれてよかったのに。まだまだ一緒だと思っていたよ。



妻がお骨を抱え、僕はハンドルを握った。

娘は落ち着いたものの、思い出したかのように「セラは?」と聞いてくる。



僕の頭は真っ白だった。

どこに行けばいいのか分からないが、何かに導かれるままアクセルを踏んだ。

ああ…セラだ。セラが導いている。セラに任せよう。セラ、どこに行くんだ?



125号線を稲敷方面に向かっていた。左手には霞ヶ浦。

その霞ヶ浦の湖面が青空を映し出し、キラキラと輝いている。綺麗だ。とても綺麗。

「なんかリゾート地みたいね。セラが見せたかったんだね」妻が言った。

美浦村にこんな綺麗な景色があるなんて知らなかった。

セラが連れてきたんだ。セラが見せてくれたんだ。



セラは僕たち夫婦が一緒になると同時に来てくれた。

ひとりっ子だが、犬は大きくなっても自立なんかしない。

それをいい事に、かなり過保護だったかもしれない。たまに呆れて苦言を言われるほど。



躾にはよくないと言われても、ずっと一緒に寝ていた。

旅行にもよく連れて行った。



セラが好きだった海に向かっていた。走っていると「香取」の地名が出る。

「香取神社に行ってみない?」妻が提案した。

「行け!と言っているみたいだから」

そうだね。セラが行きたいんだ。



僕たちは香取神社に向かった。

香取神社は初めてだった。ちょっとした旅行気分。



セラのお骨を抱きかかえ、鳥居をくぐり中に入った。

セラ、悲しませないようにここを選んだのか?

神社独特の空気感。七五三のお参りに来ているニコやかな人たち。

悲壮感に暮れるでもなく、はしゃぐでもなく、僕たち3人は長い緩やかな上り坂を歩いた。

ザッザッと砂利の音を鳴らしながら、たまには言葉を交わし、そして黙り。

僕たちは歩いた。



「だんご食べて行こう。セラが食べたかったんだよ」妻が笑って言った。

香取神社入り口にある団子屋に入った。

セラはだんごが好きだった。たまにお土産で買って帰った。

そこの団子屋さんは凄く美味しかった。今まで食べた事のない味。

そっか、セラはこれを食べたかったんだ。そして食べさせたかったんだ。

セラ、おまえは最期までこれかい!



最後に旅行した鹿島の海に向かった。僕・妻・晴・セラ・ココットで来た海だ。

そこで散骨しようと僕は妻に提案した。いろいろ考えたが、そうする事にした。

セラは海が好きだったから。

そしてお骨が手元にあると、執着しすぎるかもしれないと思った。

家に持ち帰りそのへんに埋めるのは、なんかできない気がする。



僕・妻・晴・ココット。そしてセラのお骨。数ヶ月ぶりの砂浜。

もう夕暮れ。空の雲はピンク色から暗闇色に染まり始めていた。

風が冷たい。寒い。なんかとても寂しげな空気。散骨に躊躇した。

「セラはどうしたい?」僕は妻が抱えるお骨に向かって聞いた。

「セラは嫌なんじゃない?寒いの嫌いだし、寂しがりやだし」妻が言った。



そうだね。そうだ。セラは寒がりで寂しがりやだ。

僕たちは連れて帰る事にした。

もう少し一緒に居て、火葬した場所で納骨しよう。セラ、そうするよ。



セラ、ずっと世話してきたつもりだったけど、世話されていたのは僕達だった。

セラ、ずっと守ってきたつもりだったけど、守られてきたのは僕達だった。



皮膚病がひどくなり、心臓も弱っていたのに、よく頑張っていたね。

最後の一ヶ月は、大好きな妻から献身的に介護され、幸せだったか?



セラ、もう悲しんではいないし、笑顔で毎日過ごしているよ。引きずってはいないよ。

でもセラ、君がいない家は、とても寂しいもんだ。

セラに触れられない毎日は、まだまだ寂しく慣れないよ。



娘が僕の横で、お骨に向かい手を合わせて言った。

「セラ、来てくれてありがとう!」



セラ、来てくれてありがとう。

セラとの12年間は、あまりにも大きな財産、大きな想い出。

今は何より君への感謝でいっぱいだ。



セラ。ありがとう。さようなら。またね。




※旅立った日に沢山の涙を流してくれ、香典までくれた義妹夫婦とNとT。そして義母さん。駆けつけてくれて泣いてくれたY。長文のお悔やみメールを下さった柏市のAさん。牛久市のAちゃん。妹のR。東京金町のS。柏市のアニー。つくば市のE先輩。つくばみらい市のIさん。かすみがうら市のY夫妻。牛久市のJJ。龍ヶ崎市のCちゃん。土浦市のNさん。妻あてにメールを下さったつくば市のTさん。野田市のM。松戸市のYさん。皆様のご厚意で、どんなにか救われたか言葉に表せないほどの感謝です。ありがとうございました!


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最後の家族旅行

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去年の年賀状

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娘のお守りをよくしてくれました