グループホームとは、養護施設の職員が独立して普通の家で子供を受け入れ、育てる、施設よりは里親に近い形態の養護施設だ。私は高校受験するため、その施設に移った。
Mさんという家族がそれを行っており、Mさん、Mさんの奥さん、まだ小学校低学年のMさんの実子が二人、養護施設から受けいれた子供が男女合わせて5人~6人ぐらいの施設だった。
場所は横浜の戸塚と鎌倉の大船の間の横浜市栄区にあり、そこから南戸塚中学校に通った。なぜそこの場所が選ばれたのかというと、神奈川県内では比較的中学の荒れが無い地域だったからだと、児相の担当Kから聞いた。一般には公開されない情報だが児相はそのような情報を持っているのだ。住んでいる地域によって学校教育の環境が違うだとか、荒れているだとか進学率だとかに差が出るだなんてことは、皆うすうす気づいていることとは言え、詳細なデータとして役所が一般に公表したら一大事なのだろうから、「どこに行っても一緒」などと嘘の公平性を主張するのだろう。私は、港湾地域ではいじめられた挙句、登校拒否だったのだがこの地域ではとりあえずそのようなことはなかった。いじめがあったら我慢するよりも転地することが解決の一手段として有効なのは明白だ。
私はいままで自由の無い教護院から、比較的自由の高いグループホームに移ったが、高校入試という明確かつ差し迫った目標があったことから、遊びや自由にそそのかされることもなかった。私は高校に入ってから自由を満喫するつもりだった。そのため、高校入試後に訪れるであろう自由を目標に、毎日12時頃まで机にかじりついて勉強する日々だった。グループホームのMさんからは、公立しか受験できない、私立の学費は高いから、公立で落ちたら定時制に行ってもらうと言われていたので、私は公立高校の入試問題だけに絞って勉強した。これはア・テストと同じように基礎的な問題しか出ないので、問題集を一冊買ってきて、解答に載っている解き方を覚えては、何度も問題をやり直すというやり方がそのまま通用した。
また、当時の中学でできた友人たちも不良のような友達ではなく、おとなしくて勉強に熱心な友達たちで、中間テストなどの後では休み時間に数学の難問の解き方をプレゼンしては感想を述べあうような感じで、嫌々勉強しているというよりも勉強そのものが好きなタイプがあつまるグループだった。より一層勉強を頑張るモチベーションになった。
中一の時に10日だけ通った大鳥中学校のように、授業中に校庭をバイクで乗り回すような卒業生が来ることも無かったし、生徒が教師を刃物で刺したり、女子生徒が妊娠したから堕胎費用のカンパが回ってきたり、教室の天井を掃除の箒の柄でつつきまわして穴だらけなんてことも無かった。不良も少しはいたがせいぜい変形制服を着て髪を染めてるぐらいで、港湾地区に比べれば大人しい物だった。
内申点も体育や音楽を除けばオール4に近く、ところどころ5も2~3個あるぐらいの好成績で中学3年は推移した。これまでの人生で最も充実して順風満帆な状態だった。私は中1までの登校拒否の間は毎日TVゲームをやっていたので、当然この当時、スーパーファミコンが出た後なので最新のTVゲームをやりたくてしょうがなかったが、友達の家に遊びに行く機会にちょっと触る程度で満足せざるを得なかった。グループホームにはMさんの方針でTVゲームは置いていなかった。それでも受験のプレッシャーの中、1年我慢すれば解放されるという希望がTVゲームはとりあえず我慢という忍耐力になっていた。
入試前の模擬試験の点数と判定から、私は戸塚高等学校を選び、受験し、そして合格した。
その時、高校受験目指して一緒に頑張った戦友たちは皆もっと偏差値が上の高校に進学したが、私は内申の悪さとア・テストの点数から見れば、それでも上等な結果だったし、登校拒否して家庭が完全に崩壊してた中学1年の時に比べれば、大躍進ともいえる結果だった。
私の中学時代は終わり、そのままグループホームに生活の基盤を置きながら、戸塚高等学校に通うことになった。ようやく訪れるであろう「自由」に希望を持っていた。