憧れを考える. | こころとからだを癒す茂原の医師のブログ

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あたまとこころとからだをテーマに
日常生活や診療での気づきを綴ります.

みなさん、こんばんは。

こころとからだを癒す

茂原(もばら)の医師 

永野 修です。

 

 

あなたは、何かに憧れていますか?

 

例えば、

あの人のようになりたい、とか

あのような場所に住みたい、とか

あのような仕事をしたい、とか

 

そして、

その何かに憧れる気持ちはいくつ
のころから持つようになっていますか?

 

今回は「憧れ」がテーマです。

 

なぜなら、先日久しぶりに「あの人の

ようになりたいな」と誰かに憧れる

感情が湧いてきたからですね。

 

考えてみると

僕は幼稚園のころには憧れがあった

ように思います。

 

「あいつのように早く走れるように

なりたい」とか、

 

「大きくなったら○○になりたい」

とか

 

そう考えると、憧れるという感情は

幼少期から持つようなものなのかも

しれません。

 

それならば、自分が憧れていたことっ
て何だろうって考えてみたのですね。

 

ちなみに「憧れ:あこがれ」を辞書で

調べるとこうあります。

 

あこがれること。理想とする物事に

強く心が引かれること。憧憬(どうけ

い・しょうけい)。

デジタル大辞泉

 

僕は高校生のときに人の役に立ちたい

という想いから医師という職業に憧れ

ました。そのことはこのブログに書い

ています。

「なぜ、医師を選んだのだろう?その

2」

https://ameblo.jp/osamu3150/entry-12638390157.html

 

そして、医学生になり卒業時にどの科

の医師になろうかと考えたときに、

脳神経外科を選んだのですね。

それは、自分の手で患者さんの病気を

治すことができる外科医と、脳という

臓器の神秘性に惹かれていたので、そ

れを探求できる、その両方を兼ね備え

ている脳神経外科医に憧れたのです。

特に手術室での先輩医師の執刀してい

る姿には憧れました。手術用の顕微鏡

を操作しながら、脳の中心近く直径数

mmほどの血管を剥離して、脳の動脈

にできた瘤を処理する。一歩間違えれ

ば大出血を起こすような手術を見てい

て、「自分もいつかあのようになりた

い」と思いながら、その姿に将来の自

分を重ねて思い浮かべていたりしまし

た。

 

それならば、その時から20年以上が経

ち、今の自分はその当時の憧れの脳神

経外科医になっているかと言えば、

随分かけ離れた姿になっています

(もう10年以上も手術の執刀はしてい

ませんからね)。

 

それは、今となっては自然とそのよう

に導かれたようにも思いますし、自分

の潜在的な願望も、そのようなキャリ

アを選択させていたかもしれません。

 

なぜなら、脳神経外科の手術を経験し

てくると、その手術がいかに患者さん

への負担が大きいものであるとか、術

後に後遺症が残って、その後の患者さ

んの生活に影響を及ぼしてしまうこと

があるとか、そして、このようなこと

を考えるようになったのです。

 

手術をしなければ、命を救えないこと

はたくさんあるのだけれども、できれ

ば手術をしないで済む方法はないのか、
もし手術が必要であっても負担が

少ない方法はないのか、つまり僕の中

で手術そのものに対する疑問が湧いて

来たりしていたのです。

 

それには、あるエピソードがありまし

た。70代女性の患者さんの言葉です。

 

この続きは・・・・長くなりそうなので、
次回に書きますね。

 

最後まで読んでいただきありがとう

ございました。

 

あなたの明日が

素晴らしい一日になりますように。

 

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