みなさん、こんばんは。
こころとからだを癒す
茂原(もばら)の医師
永野 修です。
「自分はどうやって最期の瞬間を迎え
たいのだろうか」
「宅老所 いしいさん家」の投稿を
読んでふと考えることがありました。
今回は、生老病死の「死」がテーマで
す。そして、その中でも「息を引き取る
瞬間」について、自分はどのように考
えているのか気になったのです。
ただ僕の両親や妹、妻や息子たちは
健在ですので最も近い関係の人が亡
くなることはまだ経験していないので
す。ですから、息を引き取る瞬間に立
ち会うとどのような心境になるのか、
また立ち会えなかったらどのような心
境になるのかはわからないのです
(ちなみに、祖父母は学生の頃に病
院で亡くなりましたけれども、その瞬
間に立ち会うことはありませんでした。
その当時は、どう感じていたのか、思
い返してみると、少し寂しい感情が湧
き上がってきますので、もしかすると、
傍にいたかったのかもしれません)。
ただ、このようにプライベートではその
経験はないものの、医師としては、患
者さんのその瞬間に立ち会うことは、
たびたびありました。
そして、医師として、患者さんを看取る
こと、それは大切な役割であるけれど
も、医師であったとしても、自分の患者
さんを看取ることができない場合もあり
ます(学会で遠方に出張の時などです
ね)。
それなので、
大切な患者さんの最期に立ち会えた。
大切な患者さんの最期に立ち会えなか
った。
そのどちらも経験してきています。
そして、
僕は医師としてどう感じていたのだろ
うかを振り返ってみると、こういった
気持ちが湧いてきます。
できることなら、
最期に言葉を掛けたいな。
「よく頑張りましたね。」とか
「お疲れ様」とか
「ありがとう」とか
「またいずれ向こうで会いましょう」
とか
「ずっと忘れませんから」とか
「見守っていてください」とか。
息を引き取った患者さんの顔を見なが
ら、そんな言葉を口にしたり、心の中
で呟いてみたり、そして、患者さんか
らの返答を想像してみたり・・・。
そして、ご家族と一緒に患者さんのこ
とを想い出しながら話をしたり・・。
そんな時間を過ごすことで、患者さん
とのお別れという事実を自分のこころ
に落とし込んでいるのかも。
もしかすると、この時間は自分にとっ
てグリーフケア(悲しみを癒す行為)
だったりするのかもしれません。
それならば、自分が最期の時に立ち
会えなかった患者さんはどうしていた
のだろうか、もしくは患者さんが他院
で亡くなったことを後日知ることにな
った時はどうしていたのだろうかと
思い出してみると
どうやら僕は患者さんが亡くなったこ
とを知ったときには、その瞬間に患者
さんの笑った顔(かならず笑顔なので
すね)が思い浮かび、そして、こころの
中で同じような会話を交わしていたよ
うに思います。「お疲れさま」「ありが
とう」「また会いましょう」とか。
ただ、どちらにしてもちょっぴり悲し
くなっちゃいますね。
にんげんですから。
さて、もう一度「自分はどうやって最
期の瞬間を迎えたいのだろうか」を考
えてみると、僕にとって大切な人が傍
らいるとかいないとか、それはいてく
れたら嬉しいけれども、それは相手の
都合もあるからとか、考えてしまって、
答えが出ません。ただ、お別れの会
話は、必ずしも、その最期の瞬間で
なければできないということはなさそ
うだなと思うのです。
最後まで読んでいただきありがとう
ございました。
追記:
今回のテーマは、ちょっと難しかっ
たです。記事を書いていてまだ自
分の考えがまとまっていないことが
分かりました(医師としてどう在りた
いかは分かりましたけれども)。これ
からも考え続けることになりそうで
す。また何か気づくことがありました
ら報告しますね。
あなたの明日が
素晴らしい一日になりますように。
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