仏様のことば | こころとからだを癒す茂原の医師のブログ

こころとからだを癒す茂原の医師のブログ

あたまとこころとからだをテーマに
日常生活や診療での気づきを綴ります.

みなさん、こんばんは。

こころとからだを癒す
茂原の医師 永野 修です。

 

先日、あるオンラインイベントに参加
しました。それは、ブルーオーシャン
法話カフェ「8時だョ!お坊さんと語ろ
う~ 生と死と喪失について」
https://peatix.com/event/1538596
です。

 

このカフェでは6人のお坊さんが「死」
「いのち」「喪失」「グリーフ」をテ
ーマに法話をして下さり、さらに参加
者と一緒になって、そのテーマについ
て対話をして下さいます。

このイベントでは生きる、死ぬに関わ
るテーマが多いので、長時間は精神的
な負担が大きいだろうという主催者側
の心遣いで、1時間という少し短めの
時間なのですが(僕としてはもっとい
ろいろ話を聞きたいし、話したいので
すけれども)、たくさんの気づきがあ
って、深い学びを得られた時間でした。

今回のテーマは「不安のままに生き
る」でした。今、世界中がコロナ禍で
あって、漠然とした不安(いつまで続
くのだろうか、自分や大切な人が感染
したらどうなるのだろうか、これから
の生活は・・など)を抱えながら生活
している方が多く、その不安をどう解
消したらいいのだろうか、そんな声が
たくさんあって、今回のテーマになっ
たとのことでした。

確かに、僕の外来へ通院している患者
さんとお話しても、皆さん、コロナ禍
に対する不安をお持ちですからね。
もちろん僕も同じなのですけれども。
 

さて、
今回は真宗大谷派の僧侶 秋山智さん
がご担当で、法話をしてくださいまし
た。

その法話のキーワードは

「田在田憂、宅在宅憂」

これは、浄土宗や浄土真宗の経典
「仏説無量寿経」の言葉で、「田を
持っていれば、その田が心配、宅
(住まい)があれば、それが心配」と
文字通りの意味です。そして、その
経典を読み進めると、その反対の
言葉もあります。「田がなければ、
それも心配、宅(住まい)がなけれ
ば、それも心配」。つまり、田んぼを
持っていれば、きちんと稲が実るか
とか、稲穂を誰かに盗まれてしまわ
ないかなど気がかりになるし、田
んぼがなければ、ないで、食べるお
米はどうしようと心配になるし、どち
らにしても心配は尽きないということ
なんです。それは家についても同じ
なんですね。つまり心配の種はつき
ないということ。

ですから、僕がみなさんに伝えたい
ことは、こうなんです。不安はあっ
てもいいんです。その不安のまま生
きることでいいんだとお釈迦様は教
えてくれているんですね。
 

このようなことを、一言一言をゆっく
りと、僕らに仏様の言葉が伝わるよう
に、穏やかな声で話してくださいまし
た。なんていいましょうか。ただただ
純粋な心で「そうなのですね。わかり
ました、ありがとうございます。」と
素直に言ってしまいたくなる気持ちに
なりました。

仏様の言葉って、気持ちを落ち着かせ
てくれるものなのですね。初めて実感
しました。
 

ただ、僕は医師として患者さんにこの
話をしても、たぶん病気に対する不安
は軽くならないかなと思いましたの
で、その後に設けられた小グループで
の対話の時間にこのことを聞いてみた
のです(4人、5人のグループに分かれ
て、その中にはお坊さんが必ず1人い
るのですね)。
 

「僕は医師をしていて、病気の患者さ
んの不安を軽くしたいと思っているの
ですけれども、どのように接するのが
良いでしょうか」
 

すると、お坊さんからこのような言葉
を頂きました。

「先ほど、僕は何か皆さんは不安があ
りますか?と聞いたわけですけれど
も、永野さんは自分の不安よりも患者
さんの不安を気になさっているのです
ね。まずは、その姿勢が素晴らしいで
すし、素敵だなと思います。そして
ね、そんな永野さんに、自分の心配ご
とを話そうと思った患者さんは、それ
を思いついたときから救われているの
です。つまり永野さんの存在そのもの
がその患者さんの救いになっているの
ですよ。だって、なかなか不安を正直
に話せる相手っていないでしょう。」
 

もう、これほどありがたい言葉はあり
ませんでした。そして、僕自身がこの
言葉に救われた思いがしました。なぜ
なら、僕は患者さんの不安を軽くする
には、どのような言葉をかけたらいい
だろうか、とか、どのような経験や知
識を持ったらいいだろうか、とか、ど
んな医師になったらいいだろうか、そ
のようなことを思い悩みながら診療し
ていたからですね。

今の自分は、決して完璧な医師ではな
いにしても、今の自分そのものの存在
が、患者さんの救いになっているのだ
としたら、本当に嬉しいことだなと思
えたのです。
 

今回、初めて「救われる」「救い」と
いう言葉が僕の心に入ってきました。
今まで、医師が患者さんの病気を治療
する、治すということは、受け入れら
れてきましたが、患者さんを救うとい
う感覚は持てませんでした。

命を救うという言葉を、微力な自分が
使うことは、なにかおこがましいよう
な気持ちでいたのです。ただ今回、自
分がその救われたという感覚を持って
みて、思うことがありました。

「もしかすると、こんな僕でも患者さ
んのこころを救うことは、できるかも
しれない。」


この感覚は、僕の医師としての大切な
3つの柱の1つ「患者さんを支える」
ことに繋がるように思えています。
 

最後まで読んでいただきありがとう
ございました。
 

追記:このブログを書きあげてからこ
う思いました。記事の中の「仏様の言
葉って、気持ちを落ち着かせてくれる
ものなのですね。」という感覚は、こ
れこそ「仏様に救われた」というもの
なのかもしれませんね。

もし、よろしかったらみなさんもお坊
さんとお話してみませんか。とても気
さくな方ばかりで、楽しくお話できま
すよ。情報はこちらまで、
次回は8月30日です。
https://houwacafe0830.peatix.com/

 

あなたの明日が

素晴らしい一日になりますように。

 

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