かなしみを癒す,グリーフケア | こころとからだを癒す茂原の医師のブログ

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あたまとこころとからだをテーマに
日常生活や診療での気づきを綴ります.

みなさん、こんにちは。

こころとからだを癒す

脳神経外科ドクター

永野 修です。

 

 

「先生、

お父さんは本当に助からないの?

何か方法はないの?」

 

「私、お父さんが死んじゃったら

 どうやって生きていったら

 いいかわからない。」

 

患者さんの病室を訪れると

 

寝たきりで昏睡状態になった

患者さんのベッドサイドで

娘さんがそう話をしながら

泣き出してしまいました。

 

できることなら治したい。

でも、やはり治せない。

 

私は

現代医療の限界が解りながらも

それでも回復の可能性を思案し、

やはり同じ結論になってしまう。

 

『無力』

 

ただただ

『無力』

を感じてしまうのです。

 

そして

 

このような場面を

何度経験してきても

思うことがあります。

 

『それでも自分(医師)は

何かできることがある』

 

医学生であったころや

医師になった当初は

 

こういった悲しい状況では

医療関係のTVドラマでよくあるように

 

医師や看護師が

家族に寄り添って

肩に手をおいたり、

両手を握ったりして

優しく思いやりのある言葉を

かけたりするもの

と思っていました。

 

そして

自分もそのような振舞いを

するように(できるように)

なるのだろうと考えていました。

 

ただ

実際にそのような場面では

 

悲観にくれている家族を

目の前にして、かける言葉が

浮かぶことはなく

 

患者さんの問いに

頷いたり、首を振ったり

することがしかできない

自分が今でもいます。

 

何かできることがあるとすれば

 

その場に一緒に居て、

そして

悲しみを共感(共に感じる)する

ことくらいしかできない、

 

そして

その時間を

できるたけ長くして

家族の悲しみが少しでも軽くなる

(悲しみを受け入れられる)ように

病室へ頻回に訪問する。

 

くらいしかないのです。

 

そして

この自分の行動がどうなのか。

何か他にできることはないのか。

 

心理学を学んだり

緩和医療を学んだりしながら

考えてきました。

 

そうしているうちに

数か月前、

千葉県がんセンター緩和ケアチーム

の勉強会である言葉に出会いました。

 

『グリーフケア』

 

これは

身近な人と死別して悲嘆に

暮れる人が、その悲しみから

立ち直れるようそばにいて

支援すること。

一方的に励ますのではなく、

相手に寄り添う姿勢が大切と

いわれる。

(グリーフ(grief)は、

深い悲しみの意)

デジタル大辞泉より引用

 

そして

勉強会では2つの言葉がこころに

残りました。

 

・悲しみは消すとか無くすとかでは

 なく共存することが大切。

・Doingよりも、Being。

(何かをするよりもそこにいること)

 

さらに

 

医療者が

家族の気持ちを思ってかけた言葉で

あっても、状況によって家族が

傷つくこともあることを知りました。

(すぐそこで見ているよ。大往生でしたね。

一生懸命やりましたよ。あなたなら

大丈夫。お気持ちはわかります。

1年も経てば癒えるから。など)

 

そして

私はこれらの学び、気づきから

今までただその場にいることしか

できなかった自分の行動が

ようやく前向きに受け入れられる

ようになりました。

 

そして

 

もっと

『Being』の器を

大きく成長させていきたいと

思うようになっています。

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。