みなさん,こんにちは.
こころとからだを癒す
脳神経外科ドクター
永野 修です.
前回のブログの続きです.
では
『どうしたら器が大きくなるのか』
その答えを
いろいろ考えたのですが,
今の自分には
『器が大きくなる』
ことは
『視点がふえる』
こと
に答えがたどり着きました.
つまり
ひとつの事に対して
いろいろな
角度から
見られるように
(=考えられるように)
(=捉えられるように)
なることですね.
たとえば
『病気』
について考えてみます.
私は
医学生のとき
病気の原因とその治療法を
徹底的に学びました.
つまり
善悪で考えると
病気は死に繋がる
悪なものであって
医師たるもの
病気を治さなくては
ならないと捉えるように
なっていました.
ところが
医師になってみると
患者さんから
病気についての
たくさんの視点を教わること
になりました.
「先生,
こんな悪い病気は
はやくやっつけてください」
「先生,
やっぱりわたしは病気が憎い.
何で,わたしがこんな悪い病気に
ならなくてはいけないの.」
「わたし,この病気になってからもう
20年以上になります.
ただふだんは先生たちのおかげで,
薬もよく効いて,あまり症状がなく
過ごせています.
そして,不思議な事に自分が
“病気”って思ったことはないのです.」
以前のブログ
「健康はだれが決めるもの」
https://ameblo.jp/osamu3150/page-4.html
から引用(リウマチ患者さんの言葉)
「先生,わたしは
病気に感謝しているのです.
病気になってはじめて
人の恩とか愛情とか優しさとか
がわかるようになったのですから」
「先生,私は
最初,病気になって
がっかりしたり,落ち込んだりしたり
しましたけど,
でも,それって不自由なことが
多くなるだけで,不幸になる必要は
ないって思えるようになりました.
だって,病気って一定の確率で
誰にでも起こることでしょう.
そして
それがたまたま今のタイミングで
私に起きただけですから.」
患者さんの言葉って
とても深いです.
そして
これらは必ずしも
『病気=悪』
の視点とは
言えないですよね.
自分には
とうてい想像もできない
視点からの言葉を
伝えてくれます.
そして
実は私も
病気(結節性紅班)に
感謝しています.
詳細は
こころと体のちからを信じる.その1
https://ameblo.jp/osamu3150/entry-12405612736.html
根治に至るには
10ヵ月要したのですが,
その間は
いつ治るのか
分からなく
不安だったし,
医師であるにも関わらず
原因がはっきり断定できず
釈然としないモヤモヤした気持ち
があったし
体を動かすたびに
出てくる痛み
(股関節,腰,両肩など)
に最初は我慢ができたけど
そのうち
嫌気がさしたり,
耐えられなくなったり,
自分の体なのにもかかわらず
痛む体へ怒りが湧いたり,
悲しくなったり,
いっそうのこと
痛む部分を
切り取ってしまいたい
などといった
普段ではありえない感情が
湧いてきたり,
これらの複雑な想いを
経験することができたからです.
こうやって
『病気』について
たくさんの視点を
患者さんから教わり,
そして
自分自身が病気を
経験したことで
自分の器の中の
『病気』
の部分が
少しずつ成長してきたように
感じられるのです.
こうやって
あるテーマごとに
視点を増やしていくことが
自分の器の全体を
大きくしていくことに
繋がるのかもしれません.
そして
私の中には
「生老病死」
が大きなテーマとして
存在しています.
これから
たくさんの
患者さんから教わり,
そして
先人の英知を学び
この4つのテーマの
器を少しずつ成長させて
患者さんの
いろいろな想いを
受け止められるような
すてきな器になるように
自分のこころを
育てていきたいのです.
最後まで読んでいただき
ありがとうございました.