日本人の末裔ハポンさん ②
7月30日(23:00)
<マリア・アホセさん母娘の日本旅行>
ハポンさんたちとの交流が続く中、S大使から「どうだろう、一度マリア・ホセさんを日本に招待しようじゃないか」というお話しがありました。
弊社でも、ツアーのお客さんへの便宜を図ってもらったり、何かとお世話になっていた関係から、親会社である近畿日本鉄道本社に、その意図を伝えましたところ、「志摩スペイン村」の展開や何やらで、スペインとは非常に関係が深い本社は、即座にマリア・ホセさん母娘を招待することを決め、早急に計画を練るように、との指示がありました。
かくして、お二人の日本行きが実現しました。
多少、会社の宣伝色が出ることは理解してもらい、主な訪問先は、大阪と志摩スペイン村のある三重県、訪問のメインとなる支倉常長縁の地、仙台市に絞りました。
折から、大阪ドームが完成し、その柿落し(こけらおとし)の一つに、近鉄バファローズvs読売ジャイアンツの試合が組まれていました。そこで、ぜひ彼女に始球式をやらせたいと提案したのですが、これは以前から決まっているので動かせない、とのことなので断念し、バファローズの佐々木監督、ジャイアンツの長島監督(だったと記憶しています)に、花束を贈呈して貰うという案に変更しました。
(だった…)とあいまいなのは、実は、私は仕事の都合で日本には同行できず、マドリード空港の送迎だけだったからです。
野球の「や」の字も知らない彼女でしたが、最後まで試合を観戦、予想に反し、近鉄バファローズがジャイアンツを破りました。
帰国後、彼女は最後まで、私が応援したから勝ったと信じていました。
伊勢志摩方面に行ってもらったのは、もちろん、「志摩スペイン村」訪問が目的でしたが、近鉄特急の車窓から見える風景や、周りに広がる田園は、彼女の生まれ育ったコリア・デル・リオの「Isla de Arroz」(米の島)にそっくりで、非常に懐かしかったという、思いがけない副産物がありました。
仙台市では、あちこちに散在する支倉常長ゆかりの地を訪れました。
コリアにある支倉の銅像や、仙台で見た肖像画にはさほどの反応を見せなかったマリア・ホセさんのお母さんですが、蝋人形館で支倉常長のワックス像を見た瞬間、何だ!この人は、この前に亡くなったホセじゃないの、と思ったそうです。良く似ていたのですね。
この一言でも、ハポンさん日本人末裔説は肯定されたように思います。
迂闊にも、私は蝋人形館のあることは知りませんでしたが、誰かが気を利かせた案内したのでしょう。確かに、伊達政宗歴史館の中にあるそうです。
10日ほどの慌しい日本滞在を終えて、お二人はマドリードに帰ってきました。
到着ゲートを出るや否や、矢継ぎ早に、お二人がまくし立てる「日本よいとこ」節を聞いた途端、ご招待して本当に良かったと思いました。
最後に、日本食をあちこちで堪能したようですが、一番美味しくて印象に残った食べ物は?という私の問いに、お二人とも間髪をいれず「お好み焼き」と答えました。特に、焼きあがった時にかける鰹節が、生きているようにうごめいていたのが、何とも印象的だったそうです。
後日、本社の幹部にこの話をしましたところ、値段を出して恐縮ですが、「一人前○○万円もする料亭にもご案内したのだが…」と、喜んでいいのやらなにやら、複雑な思いだったことでしょう。
それにしても、お二人をお好み焼きに連れていったのは誰か?良くぞやってくれたと感謝したいのですが、今もって犯人、いや勇士の正体は分かっていません。
祖先の導きだったのでしょうね。キッと。