刑事課の怒鳴り声、交通課の慌しさ、生活安全課の荒々しい喧騒・・・署内の騒音そのもののような日常はいつもの如しであるが、特務班のみは別世界である。ただひたすらキーボードの打ち込み音がするのみで、静寂が支配しているかのようである。特務班とは先月新設されたばかりの署長直属の部署で、仕事といえば管轄地域の事故事件等のデータを基本フォーマットにのっとって収集分析するだけである。基本フォーマットとは、市内で起こった事件等を怨恨というフィルターで地図化するための分別をすることである。それを提案したのが若き班長・・・堀巡査部長で、処理そのものを受け持つのが署内一の・・・いや、市随一の巨漢丸ノ原なのである。丸ノ原が動けば空気が動き、丸ノ原が声を発すればあらゆるものが振動する。まるで丸太のような腕を無理やりにしか見えない窮屈さでデータ処理のためのパソコンの前のキーボードにのせ、これまた棍棒のような指で器用にキーをたたく姿は見る者を唖然とさせる。さながらその姿は檻の中の熊が人間の真似をしてパソコンに向かっている漫画のようにしか見えない。だが、忘れてはならないのは分析するためのソフトウェアを勝手に作って運用しているのが、誰あろう丸ノ原だという事実である。その結果、署は殺人的なオーバーワークから全員が開放されて、特務班は英雄扱いをされるに至っているのだ。
その丸ノ原が黙々とキーボードを操っている・・・。
静寂は確かにそこに存在するのであるが、同時に何か別の目に見えない力場も働いているように部外者には感じられるかもしれない。
ふと、丸ノ原が手を止める。ただ、それだけで部屋全体の空気の流れが変わる。圧倒的な存在感であった。
おかしいな・・・。
モニターを見つめながら、丸ノ原は首をかしげた。今月に入ってから犯罪発生予測データからはみ出している件数が、微妙に増えてきているのだ。量的にはまだ大した事はない。だが、増加傾向にあることが丸ノ原の明敏な頭脳が見抜いたのだ。
これは班長殿に報告せねば・・・。
もしこのまま増えていけば、先月のような修羅場が署内に再び訪れることにもなりかねない。丸ノ原の誤った判断が署に危機的状況を作り出さぬよう、尊敬する班長に判断を仰ぐべきだと決断させた。
だが・・・当の堀は外出している。刑事課の安野と共に坂東組の組員失踪事件を追っているのだ。丸ノ原はちらりとモニターの時計表示を見る。時間はすでに17時を少しまわっていた。このまま待っていても堀は何時に帰ってくるかわからない。迷った末、メモ紙に班長へのメッセージを残すことにした。
ボールペンを走らせ、そのメモ紙を堀のデスクにそっと置く。何かの拍子に飛んでしまわないよう、その上にウサギの文鎮を座らせた。もちろん、丸ノ原の私物である。

特務班での丸ノ原の仕事はデスクワークのみである。本人いわく、「体が弱いので外勤にはむかない」のだそうだ。むろん、そうは見えない立派な体格をしているのであるが、署長も言明している通り、デスクワークしかしてはいけないのだ。班長たる堀の知りえない事情により・・・である。
よって、丸ノ原の仕事は基本17時で終わりである。
最上階にある署長室に隣接している特務班の部屋を出て署の1階玄関まで降りて来ると、丸ノ原の目に制服警官に詰め寄っている女子高生の姿が飛び込んできた。
「・・・だからぁ、堀ちゃんはどこなのよ?」
丸ノ原の耳に慣れ親しんだ名前が飛び込んできたのは、偶然である。それがなかったら気にも止めずに通り過ぎていたに違いない。
「堀ちゃんって言われてもねぇ・・・。どんな特徴の人?」
制服警官はまるで尋ね人の相談を受けているかのように、カウンターの中から女子高生の探している人物を特定しようとしているが、丸ノ原にはどうも話がかみ合っているようには見えない。
少し考えた後、丸ノ原は女子高生に後ろから声をかけた。
「堀ちゃんって、堀班長のこと?」
突然後ろから声をかけられた女子高生は、飛び上がらんばかりに驚く。そればかりか、丸ノ原の姿が目に入っていたはずの警官も少し飛び上がったかのようだ。
驚きのあまり引きつった顔をした女子高生・・・平祥子は、体をすくめたまま小刻みに頭を縦に振る。
人見知りなのかな?
丸ノ原の感性は独特であった。

                                               ・・・ ケンセイ #11  へ続く