風邪ですのどが痛いです。
 
一月も終わりですがあけましておめでとうございます。藤村です。

昨今、安倍が「憲法に高等教育無償化条項を」的なことをおっしゃったそうで、それなりに注目を集めています。

「何が何でも改憲したい」サイドの橋下も、
 
 
このようにツイートしていますが、
はてさて、改憲の議論の俎上に教育無償化を挙げることは適当なのか。
そんな必要があるのか。
今回はちょっと長いですが、
①安倍の主張
②現行法制での無償化に関する条項
③なぜ学費が高くなってしまったのか
をさらっと見てみます。

まずは①安倍の主張とやらから見てみましょう。

①安倍の主張
適当に、産経の記事でも引用してみよう。

(以下、引用)
20日の施政方針演説で、70年前に施行された日本国憲法で小中学校の無償化を定めたことに触れた上で、次の70年に向け「誰もが希望すれば、高校にも、専修学校、大学にも進学できる環境を整えなければならない」と訴えた。大学までの教育無償化をテコに憲法改正を目指す考えをにじませた格好だ。

教育無償化では、日本維新の会が憲法改正による完全無償化を目指している。民進党も次期衆院選の公約原案で大学までの無償化を掲げ、共産党も無償化の必要性には賛同している。首相は「日本の未来を共に切り拓いていこう」とも呼びかけ、憲法改正への本格議論に布石をうった形となった。
(以上、引用)

さてはて、わざわざ高等教育無償化条項を憲法に盛り込みたいと。
こいつは、何を言っているんだろう。
なんですか、今の憲法では不十分だから、それを盛り込みたいとおっしゃるんですか。
それでは次に②現行法制での無償化に関する条項を見てみましょう。

②現行法制での無償化に関する条項
さて、ありきたりな反論として、すでに無償化の根拠が現行法制にある、というのがあります。

例1:憲法26条
すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

例2:教育基本法第3条
 (教育の機会均等) すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

確かにこの通り、「経済的地位によって」の文言はこの中にある。
決して勘違いしてはいけないのは、これは授業料を取ってもいいから貸与型奨学金で対応してくださいね、という趣旨ではなく、
学生から授業料を取らず、それでも足りない生活費等については奨学の措置を講じなくてはならないという趣旨である。

たとえ憲法で「高等教育は無償とする」と書かれたとしても、それで授業料が取り敢えずゼロになっても、教育の機会均等はまだ一歩遠い。
何故なら学生にとって必要なのは、授業料だけではないから。
就活をするならそのための交通費宿泊費。大学院生の研究費。
一人暮らしなら、食費居住費光熱水費家具家電、そして交際費。
そういう意味でも経済的に困難だという層には、さらに奨学の措置が必要という意味である。
この精神は、下の国際人権規約にも共通するところである。

例3:国際人権A規約13条2項c
2012年に批准した高等教育無償化条項。
「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。」
「特に、無償教育」と言っていることからも、前述のような、無償教育を導入しただけではまだ教育の機会均等は実現できないというニュアンスも含んでいる。

例4:憲法23条
学問の自由は、これを保障する。
まだ蓄積がすくないが、大学院生はじめ、研究者にとっては授業料の存在自体が学問の自由の大きな障害となっている。
日本の大学における、社会人学生や学びなおしが少ない背景には、間違いなく高学費がある。たとえ高学費をクリアできたとしても、奨学金の乏しい日本では大きな収入減に見舞われる。

③なぜここまで学費は高くなってしまったのか
話は変わって、なぜここまで、学費負担が大きくなってしまったのか。
それを詳細に総括することなしに学費無償化を語るのもおこがましいけどそれは別記事として。
何にしても、現在の高学費負担は、自民党政権下で構築されてきたことを忘れてはならない。

その高等教育観は、2001年の国連社会権規約委員会の調査に対する政府回答に、極めて色濃く表れている。
 
(1) 我が国においては、義務教育終了後の後期中等教育及び高等教育に係る経費について、非進学者との負担の公平の見地から、当該教育を受ける学生等に対して適正な負担を求めるという方針をとっている。
 また、高等教育(大学)において私立学校の占める割合の大きいこともあり、高等教育の無償化の方針を採ることは、困難である。
 なお、後期中等教育及び高等教育に係る機会均等の実現については、経済的な理由により修学困難な者に対する奨学金制度、授業料減免措置等の充実を通じて推進している。
(2) したがって、我が国は、社会権規約第13条2(b)及び(c)の規定の適用にあたり、これらの規定にいう「特に、無償教育の漸進的な導入により」に拘束されない権利を留保している。

自己責任原則、受益者負担の原則、国立と私立の公平性(謎)の観点から、授業料が継続的に上げられ続けてきた。
その急先鋒に立っていたのが自民党だということを、忘れてはならない。

④高等教育無償化条項を加えることに意味はあるか
 正直な感想を言ってしまうと、バックグラウンドや背景を全部無視して考えてしまえば、憲法に「高等教育は、これを無償とする」と書かれるなら、それに越したことはない。
 確かに突拍子もないことだが、国際人権規約と同じ、目標と到達地点を明確にすることは意義がある。国家に強制力を持たせることが出来る。

 しかし残念ながら、憲法は社会背景、バックグラウンドによって全く異なる意味を持つ。
それが本当に守られるのか。どう守る措置が取られているのか。常に監視しなくてはならない。
 では、今の自民党に当てはめて考えるとどうだろう?

 結論を書いてしまおう。
 あまりにも当たり前すぎる結論を書いてしまおう。

特に今の「自民党」は、憲法に「高等教育は無償とする」と書いたところで、特に何もしない。

 義務教育の無償化は、ただ憲法に書かれていたから達成できたことじゃない。
 それを国民に、日本に定着させ、自分たちのものにすべく努力してきた人たちがいて、
様々な判例を通じて議論を深めて、到達した領域のはず。

 高等教育について、これまで自己責任論を、受益者負担の原則を振りまき、
 無償化という概念に背を向け爆走兄弟してきた自民党が。
 世界一の高学費負担を実現した自民党が。
 憲法を蹂躙することに定評のある自民党が。
 国際人権規約の高等教育無償化条項の批准勧告に対して、「貸与奨学金があるので教育の機会均等は守れている」と回答した自民党が。
 学生の2.5%しか網羅しない給付型奨学金でドヤ顔をスプリンクラーのごとく散布する自民党が。

高等教育無償化を憲法に書いたくらいで、それを守るものか。

 もしも、彼らが憲法を守ります、憲法に書かれたらさすがに守ります、と吐けるなら、
 それなら、「現行憲法23条と26条に基づき、その精神をもって、無償化へ踏み出します」も吐けるはず。
 その一言も言ったことがないのに、無償化を憲法に書かれたから守る?
 なんという、自己矛盾。

憲法を踏みつけながら憲法を守りますとのたまう、その矛盾。
まず、お前の足元に踏みつけられているものから、守ってみせろ。

 本当に、大学無償化を目指すなら、憲法改定によるものに先んじて、まず給付型奨学金を韓国並みに整備したらいい。
 国立大学の授業料標準額を下げたらいい。
 教育予算を抜本的に増やせばいい。
 憲法じゃなくてまず教育基本法を変えたらいい。
 まず目の前で困っている学生をなんとかするために、今の法制を、予算を変えたらいい。

 なぜそこから入らないのか?
 答えはあまりに単純明快で、
こいつらに、高等教育を無償化する、その道筋が、やる気が、ないから。

⑤結論
 これはイデオロギー攻撃だと、見破らないといけない。
 「何が何でも改憲したい」ための、餌をまかれ、さあ食いつけ、蒙昧な魚のごとくと。
馬鹿にされていると、見破らないといけない。

え、まさか皆さん、憲法に高等教育無償化条項が書かれたからって、彼らがそれを律儀に守るだろうなんて、思ってないですよね?