11月7日 木曜日 天気 晴一時曇り
和歌山県「紀州九度山真田鉄砲隊」演武
九度山と言えば、自分が春と秋に柿に携わる仕事で行っている場所です。何も知らずに九度山町の道の駅に行った時、六文銭が所々に有り??でした。

調べて見ると、真田昌幸と幸村が蟄居(ちっきょ)生活をした場所だと分かりました。蟄居生活をした善名称院(真田庵)前の近くには紀の川が流れ

後ろには紀の川に流れ込む丹生川(にゅうかわ)が流れていて周りは山に囲まれています。真田親子は故郷の千曲川や山々を思い出していたでしょうかね?

何か自分と九度山町のつながりも六文銭だったのかな?って思ったしだいです。

右側の櫓は、上田城西櫓になります。西櫓は尼ヶ淵の河岸段丘上に、寛永3~5年(1626~1628)にかけて仙石氏によって建てられた上田城唯一の現存遺構です。

信州真田鉄砲隊演武
上田城に「真田一族がいなかったら」と思う時が旅をしていてありましたね。
旅先で「上田ってどの辺」って聞かれる時があるんですよ。

その時の答えが「軽井沢の先で、上田城がある真田幸村がいたところ」と答えると大体わかってくれますね。

真田幸村(信繁)は全国的に通じてくれます。

これら演武は「尼ヶ淵(あまがふち)」という江戸時代には千曲川の分流が流れていた川原で、天然の要害となった場所で行われました。 次回につづく
