全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。北海道の風景になります。

北見枝幸駅跡 北海道枝幸町栄町    (2018年9月撮影)
自分が高校3年の就職が決まった夏休み、当時流行っていた蟹族(リュックを背負い横向きで汽車の通路を歩く旅人)に似た旅をしに、北海道に来た時の思い出話になります。青函(せいかん)連絡船で函館に着き、札幌から確か網走に向かう汽車の中で二人の女学生と知り合いました。どんな話をしたのか記憶にありませんが、家に泊まって行きなと言う流れになり降りたのが、今は無きこの「北見枝幸」の駅です。
枝幸町立図書館 北海道枝幸町本町
今回、枝幸の家に泊めてもらった女性ではない人の手紙を持って彼女に会いに来たが、何せ半世紀以上前の住所のために場所が分かりません。新聞店に聞いたら同じ名字の人が一軒見つかり、訪ねて見たが人違いでした。そこでこの図書館で人名地図で探そうと入りました。
北見幌別川 幌別橋(枝幸町下幌別)より
係りの人に事情を話したら、古い街の広告が入った地図を持って来て一緒に探してくれて、名前を言うと「その子の姉を知っている」との事でした。ただ「その子亡くなっているかも?」と言って、その子の姉に連絡してくれました。
北見幌別川河口 幌別橋より
行って会って話しを聞いて見ると、確かに亡くなっていました。しかも自分が北海道に来た7月だそうです。札幌に住んでいたようですね。憶測ですが、たぶん札幌に就職関係で来て、帰りの汽車で自分と出会ったのだと思います。自分を泊めてくれた彼女の居場所は分かりませんでした。別れ際にもらったスルメの味は今でも忘れてないですね。遠い遠い昔の青春の思い出ででした。
国道275号 北海道中頓別町上頓別    (2018年9月撮影)
正面の山は標高703mの敏音知岳(びんねしりだけ)になります。
上頓別(かみとんべつ)    北海道中頓別町上頓別
国道275号線を走る宗谷バスの待合所です
北海道命名之地 北海道音威子府村物満内    (2018年9月撮影)
安政四年、松浦武四郎はアイヌの人達と共に天塩川(てしおがわ)を探査し『天塩日誌』として書き残しました。天塩川探査の帰途中、オニサッベ(筬島(おさしま)の鬼刺川付近)で、故事に詳しいアイヌのアエトモ長老から話を聞きました。アイヌの通称である「カイナ」の『カイ』とは、この国に産まれた者ということで『ナ』とは、貴人をさす尊敬の言葉である。
これを聞いた武四郎は、「アイヌの人々は、自らその国を呼ぶとき、加伊(かい)と言い、アイヌはひげが長いところから、蝦夷(かい)の字を用いたが、もともと蝦夷地の蝦夷(えぞかい)とは加伊(かい)のことである。」と考えました。
天塩川(てしおがわ)
明治2年7月17日、松浦武四郎は道名に関する意見書を提出。候補に、日高見道(ひたかみどう)・北加伊道(ほくかいどう)・海北道・海島道・東北道・千島道の六道を提示、この中から「北加伊道」が採用され、「加伊」の字に北方の海に通じる「海」をあて、「北海道」名が誕生しました。現在の「北海道」の名は、まさにこの地でアエトモ長老と出会ったことから生まれたのです。    (説明板より)
大手12線    北海道美深町大手    (2018年9月撮影)
国道40号線を走る名士(めいし)バスの待合所です。
三日月湖 北海道美深町大手
道の駅「びふか」横にある、天塩川の流路切り替えによって生じた湖です。
天北(てんぽく)峠 北海道下川町一の橋    (2018年9月撮影)
国道239号線の西興部村(にしおこっぺむら)と下川町の間にある峠です。
激流の滝 北海道美深町仁宇布    (2018年9月撮影)
落差が少ない滝で、この時は水量が少ないので激流とはなっていないようですね。
仁宇布(にうぷ)駅跡 北海道美深町仁宇布
北海道は廃線跡が多いですね。駅跡は、NPO法人トロッコ王国美深の施設として使用され
トロッコ
廃線の線路を利用したエンジン付き保線用軌道自転車の運転体験が出来るようです。
美深峠 北海道美深町仁宇布
道道49号美深雄武線(びふかおうむせん)は美深町と雄武町を結ぶ峠です。
雄武(おうむ)漁港と町並み 北海道雄武町雄武    (2018年9月撮影)
道の駅「おうむ」展望台からの風景です。
日の出岬方面と町並み
次回ブログに載せる予定の岬方面を展望台より見た風景です。