全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。北海道の風景になります。

宗谷岬 北海道稚内市声問2丁目    (2018年9月撮影)
ブログは日本の最北端の岬に向かっています。
キタキツネ 北海道稚内市声問4丁目
この写真はズームでよっているのでは無く、カメラによって来たところを撮りました。民家のある平地です。北海道は野生動物と共存していますよね。
大沼 北海道稚内市声問村声問
アイヌ語でシュプントウ(ウグイの沼の意)と呼ばれ、渡り鳥の拠点で大沼野鳥観察館があるこの沼は、砂州によって海と切り離された海跡湖になります。
国道238号 北海道稚内市宗谷村
左は宗谷岬になります。
丸山    北海道稚内市宗谷村珊内
宗谷丘陵駐車帯(宗谷周氷河ロードパーキング)付近からの風景です。
ゲストハウスアルメリア
この辺りは「宗谷丘陵(そうやきゅうりょう)」と呼ばれる場所で
日本海
これは、今から2万~1万年前に起こった地球最後の氷河期「ウルム氷河期」に形成された
宗谷周氷河ロード
周氷河(しゅうひょうが)地形が広がる丘陵地帯であると言われています。
ゲストハウスアルメリア    北海道稚内市宗谷岬
宗谷海峡を望む高台にある風車型の展望休憩施設です。
祈りの塔 北海道稚内市宗谷岬
宗谷岬公園にあるこの塔は、1983(昭和58)年9月1日、ニューヨーク発ソウル・金浦空港行き大韓航空機KE007便は、予定コースを逸れサハリン上空を侵犯。緊急発進したソ連・迎撃戦闘機のミサイル攻撃を受け、サハリン西海域のモネロン島沖に墜落。日本人28名を含む乗客・乗員269名全員が亡くなりました。この塔は、全国から寄せられた浄財をもとに、遭難者の慰霊と世界の恒久平和を願い、事故海域を望むこの高台に遺族会が建立したものです。事件の真相と真の平和を鶴のように首を長くして待つという意味が込められたデザインで、塔の高さ19.83mは事故発生の年、16枚の羽は遭難者の母国数、269枚の白御影石は犠牲者の数をそれぞれ表しています。    (説明板より)
宗谷岬公園
「子育て平和の鐘」と「世界平和の鐘」があります。
あけぼの像
市のHPによると、北海道の牛乳生産量100万トンを突破と、飼育乳牛50万頭突破を記念して、昭和46年(1971)7月、宗谷岬の丘陵上に建設されました。この像は、牧さくをかたどった台座の上に、野良着姿の男女が南に果てしなく広がる宗谷丘陵を見つめながら力強く立っているブロンズ像で、“天北酪農の夜明け”を象徴したものだそうです。
宗谷岬灯台
道内では納沙布岬(根室)、日和山(小樽)に次いで、3番目に建てられ、明治18年(1885)9月に初点灯した灯台です。
大岬旧海軍望楼(おおみさききゅうかいぐんぼうろう)跡
帝政ロシアとの国交が悪化し始めた明治35年(1902)に、国境の備えとして旧帝国海軍が建設したものだそうです。
宗谷岬
公園からの風景です。ここから降りてこの先端にある
日本最北端の地の碑
このモニュメントに来ました。ここ宗谷岬は、学生時代来た時のことを思い出す場所ですね。
日本最北端の地の碑
当時は学生で金が無く、泊まるところは夜汽車、駅のベンチなどでしたね。ここ宗谷岬では
最北端公衆トイレと売店
7月か8月だったと思いますが、寒くて寝る場所が無く、腹に新聞紙を巻いて電話ボックスで寝た記憶があります。当時の電話ボックスは頭の辺りだけがガラスで下は見えなかったので、外からは見えなかったんだよね。
最北端のバス停「宗谷岬」
国道238号線を走る宗谷バスの待合所です。
宗谷岬神社
日本最北の神社で、神職は常駐しておらず豊富八幡神社(豊富町)が祭祀を司っているそうです。
あけぼの像(峯孝の作品)
水平線辺りの雲が取れたので、高台の公園に来て見ると、宗谷海峡を挟んだサハリン(樺太)の山並みが見え、ズームすると
建物まで見ることができました。