全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。北海道の風景になります。


くぐり岩    北海道乙部町滝瀬    (2018年7月撮影)
くぐり岩は滝瀬海岸を南北に分断しており、 1600年頃ニシン漁を支えるため人の手によって薄い岩の中央に穴が開けられて人の通行が可能になりました。

くぐり岩
この時よりこの岩 は「くぐり岩」と呼ばれるようになりました。    (説明板より)
シラフラ    北海道乙部町滝瀬
滝瀬海岸沿いに白い断崖が続く、美しくも奇妙な海岸線。江戸時代より白い傾斜地を意味する言葉「シラフラ」とも呼ばれている。ちなみに明治の初めにシラフラに埋まっ ている岩が発見され、神秘的なものとしてまつられた。現在は石神様として瀧之神社の境内に安置されている。    (説明板より)    千葉県の屏風ヶ浦に似ているよね。
箱館戦争官軍上陸の地碑    北海道乙部町緑町
明治2年(1869年)4月9日未明、乙部の海上に官軍の大艦隊が押し寄せ、津花(元町)、相泊(館浦)に上陸しました。乙部に上陸した官軍は、現在の宮の森公園の一部として整備されている瀬茂内の丘周辺などで旧幕府軍と交戦し、五稜郭を目指したのだそうです。    (町HP参照)
館の岬(たてのさき)    北海道乙部町緑町
断層の詳細は、黒っぽい砂岩層(さがんそう)と、白っぽい凝灰岩層(ぎょうかいがんそう)が海底へ交互に重なって堆積した地層で、その後の地殻変動により陸上に隆起し、整然とした断層面を露出しています。これは鮮新世(せんしんせい)に出来た地層で館層と呼ばるグループに属しているそうです。白亜の断崖が、東洋のグランドキャニオンとも呼ばれているようです。    (町HP参照)
といの水    北海道乙部町館浦
町内5ヶ所の「生命の泉」は、以前から地域の皆さんが活用していた自然湧水を、北海道南西沖地震を教訓に災害時の貴重な給水施設として整備したもので、平成9年に「といの水」が完成のだそうです。    (町HP参照)
突符岬(とっぷみさき)    北海道乙部町栄浜
道の駅「ルート229元和台(げんなだい)」が近くにある岬です。
突符岬    北海道乙部町元和
突符岬の上は公園になっており、ちょうど北緯42度に位置するため「北緯42度岬」とも呼ばれているようですが、自分は行ってないみたいですね。ズームして
窓岩
乙部漁港にあるこの岩は「窓岩」と呼ばれているようですが、自分はこの方向から見て「侍の勉強岩」と名付けました。
穴澗岬(あなまみさき)    北海道乙部町元和
穴澗に関する地名は北海道の各地にあるようで、函館の穴澗海岸が物語性があるようです。
鮪ノ岬(しびのみさき)    北海道乙部町花磯
遠景で分かりにくいが、岬の形がマグロの背に似ていることや、安山岩の柱状節理による独特の岩肌がマグロのウロコのように見えることから、鮪(しび)の岬と呼ばれ、北海道天然記念物に指定されているようです。
館平(たてひら)漁業組合前    北海道八雲町熊石館平町    (2018年7月撮影)
国道229号日本海追分ソーランラインにある函館バスの待合所です。
国道229号    北海道八雲町熊石西浜町
日本海追分ソーランラインです。
ポンモシリ岬灯台    北海道八雲町熊石関内町
初点灯は1963(昭和38)年12月。ポンモシリとは、アイヌ語で「小さい島」を意味する地名のようです。
夫婦岩    北海道せたな町大成区長磯    (2018年7月撮影)
約78kmに及ぶせたな町の海岸線に日本海の強風と荒波が作り出した奇岩や怪岩が多数点在しているようなので見て見ましょう。
親子熊岩
大昔、この地に天変地異をもたらす大嵐があり、生物の生存をおびやかし、自然の猛威は飢餓という試練を与えた。この頃、山奥に親子の熊が棲んでいたが飢えをうったえる子熊を連れ海岸に辿りついた。親熊は海岸に群れる子蟹を見つけ食べさせていた。子熊も親のしぐさを真似て子蟹を追ったが、一瞬のうちに岩をすべり海中へ、親熊は夢中で溺れる子熊を助けるため手を伸ばすがぬれた岩に足をとられ、無残にも海中へ。一部始終を見ていた海の神様は、子を思う親の愛の深さに心をうたれ、溺れる親子熊を救いあげ、愛の姿をそのままに岩に変身させたのだった。    (説明板より)
人魚姫岩
ちょっと人魚姫には見えないよね。
タヌキ岩
お腹の出っ張りぐわいがなんとなく?
ツラツラ岬    北海道せたな町大成区貝取澗
名前の由来などはググってもヒットしませんでした。
釣の澗(まいわ)    北海道せたな町大成区貝取澗
国道229号を走っていると、突然海側の大きな崖の終わりに現れる穴でしたね。
平浜海水浴場    北海道せたな町大成区平浜
道の駅「てっくいランド大成」の前にある海水浴場です。